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日付のない便り

日々のとりとめのない覚書 映画や読書 そして回想

忍ぶ川  栗原小巻あるいは志乃 

映画ー邦画

  三浦哲郎の「忍ぶ川」を、私は高校の1年生ぐらいで読んでいるはずだ。美しい小説だと思った。それと同時に、初夜の場面などに、気恥ずかしいような思いがして、読みながら少しうろたえたりした(私は全くの晩熟で、中学生のころから丹羽文雄や舟橋聖一なども密かに読んでいたくせに、男と女のことについてはよく知らなかった)。

 現実の恋愛についてまわる細々したわずらわしさやうっとおしさは、この小説ではそぎおとされたようになっていて、「私」と志乃の恋愛はきわめて純度の高い結晶となって提示される。

 今の若い人はこの小説をどのように読むだろうか。
 志乃のような、一途で愛らしい、そして古風なヒロインは、今の若い人からは反発されるのだろうか。首を傾げられたり、冷ややかに笑われたりするだろうか。

 私が初めて読んでからでも、もう半世紀近くになろうととしているが、私には、今もこの小説の真実は、美しく屹立しているように思えてならない。今も、どこかに志乃という女性が懸命に生きている気がするのだが。

 1年ぐらい前にCSで放送された時の感想を届けようと思う。

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忍ぶ川

 志乃が父の危篤の報を受けて栃木に帰る場面は、東武の浅草駅(松屋の中にある)が、子供の頃から親しんだ駅であったこともあって、妙に印象に残っていたのだが、数十年ぶりに見直してみると、その時、二人が着物姿であったことが記憶から欠落していることに少し驚いた。この映画も大学生の時に、リアルタイムで見ているはずだが、原作を愛読していたせいか、当時はどうも違和感があって、丹念に作られた映画という程度の印象しか残っていなかった。特に、栗原小巻の志乃というのがしっくりこなくて、友達とそんな話をした覚えがある。しかし、今になって見てみると、栗原小巻の美しさは圧倒的で、「忍ぶ川」で主人公が初めて会うシーン、つまり初めて志乃が登場するシーンで、主人公だけではなく、観客も志乃から目が離せなくなる。原作の志乃とは違うが、それを忘れさせるほど、まさに匂い立つような美しさで、栗原小巻は最後までこの映画を支配する。

 丹念に作られたという印象は、今見てもそうで、熊井啓監督らしく生真面目に丁寧に作られていて、木場、洲崎、栃木の志乃の実家、雪深い青森の主人公の実家とその丁寧な描写は原作のイメージに忠実で、特に洲崎の場面など、今はもう誰も知らない「パラダイス」の雰囲気を正確に伝えている。

 もっとも、生真面目すぎて、初夜のシーンが長く、間延びした感がある。栗原小巻の乳房を露わにしたシーンとして当時話題になったが、それほどどうこういうものではない。栗原小巻はここでもやはり美しいが。

 目の不自由な姉を演じた岩崎加根子の演技は、映画全体の大きなアクセントとなっていて印象深い。志乃の父を演じた信欣三も忘れがたい。

 じっくり見てみると、余計なことにも気づくもので、志乃に振られた学生が鶴田忍だとか、自死する姉が山口果林だとか、「忍ぶ川」の女将役が「仁義なき戦い」で金子信雄の女房を演じている木村俊恵だとか、ラストシーンで電車の前の座席から身を乗り出すようにして二人をからかうおばさんが菅井きんであるとか、ついついふらふらと考えてしまう。

 

 そういえば、思い出したが、この映画を見た頃、早稲田に「忍ぶ川」の舞台になった店があるというので行こうという話になったが、なんとなく気後れして、行かないままになっている。

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