日付のない便り

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長崎ぶらぶら節 吉永小百合 さまざまなため息

 女優さんて化け物だな、というと中学生の息子にそれはあまりに失礼だろう、と言われる。だが、幾つになってもその美貌(まさに美貌!)の衰えないことが、理解の枠を超えてついついこういう言葉になる。

 吉永小百合が今年71歳になる、と聞いて絶句した。この人を見ていると、女優というのは、永遠に女優なのだということがよくわかる。私は9歳下になるが、私の世代だと、サユリストというのはあまり聞かない。だが、彼女が嫌いだという人もあまり聞いたことがない。まるでスクリーンの中にいるのが当たり前のように、この何十年間、彼女の映画を見てきた。

 この映画は1年ほど前にCSの放送で見た。何回も、さまざまな種類のため息をつきながら。

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長崎ぶらぶら節
 キネマ旬報の「オールタイムベスト日本映画女優」のベストテンに吉永小百合が入っていない。夏目雅子や安藤サクラが選ばれているのが、妥当かどうかを論じる素養も準備も持ち合わせていないが、彼女にとっては不幸なことと言わざるをえない。吉永小百合は、どんな役をやっても吉永小百合だという人がいるが、スターとはそんなもので、そういう意味では高倉健も勝新太郎も同じようなものだ。それでも、この二人はベストテンに選ばれている。彼女が、この二人と違うのは、高倉健には「新幹線大爆破」や「幸せの黄色いハンカチ」があり、勝新太郎に「座頭市」や「悪名」があるのに、結局、彼女は「キューポラのある街」と「愛と死をみつめて」まで戻ってしまうことだろう。
 「夢千代日記」がテレビだったのも運がない。もし映画で始まっていたら、また少し変わっていただろう。転機を逸したまま、多くの作品に出ているが、これはという代表作がない。そんな中で、この「長崎ぶらぶら節」は代表作になり損ねた映画かもしれない。
 愛八という年増芸者の哀歓を演じる吉永小百合の清潔な美しさは比類ない。芸者ながら、どこまでも純粋な愛八は、年齢を経ても変わらぬ吉永と重なり合って見えて来る。粋とか艶とかを求めてはだめだが、女性の最良の部分である献身を惜しまぬ純粋さとなると、吉永小百合は、ピタリとはまる。夢千代とも通じるものがあろう。
 惜しむらくは、相手役が渡哲也だったことだ。市井の学者古賀十二郎役だが、全く魅力がない。くぐもったような声も妙に落ち着いたような演技もどうもいけない。映画としても、スケール感に乏しい。
 吉永の良質の演技も、映画の評価がもう少し高くないとなかなかめにつかず、見過ごされてしまったのだろう。そういう意味では、なんとも惜しい映画である。

《監督》深町幸男