日付のない便り

日々のとりとめのない覚書 映画や読書 そして回想

愛すれど心さびしく  「ミック」との再会

  この映画、なかなかは見ることができなかったのだが、最近CSで放映したので、あわてて録画した。数十年ぶりに見た。この映画を初めて見たのは高校生のときだった。隣の駅にあった名画座で見た。私にとっては忘れられない映画の一本だったのだが。

 

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愛すれど心さびしく 

 原作がマッカラーズの小説だと気づいたのは、大学に入ってからだった(この題ではわからない。その頃は原題など気にしていなかった。洋画に邦題がつかなくなったのはいつごろからだろう。私がこの映画を見た頃は、まだまだ原題そのままというのは少なかった気がする。何年かあとに、オッタビア・ピッコロの「愛すれば哀しく」という映画が公開されてややこしい思いをした記憶がある)。

「ママが遺したラブソング」という映画の中で、主人公のスカーレット・ヨハンソンが、死んだ母の遺品からなんとなく手に取った本を読みだして、ついつい夢中になり、止まらなくなるシーンがある。その本の題名が「The Heart is a Lonely Hunter」なのを見て、ちょっとびっくりした。この映画の原作、アメリカの閨秀作家カースン・マッカラーズの処女作にして永遠の傑作「心は孤独な狩人」だ。

 新潮文庫から翻訳がでているが絶版になっていて、私の住んでいる地域の図書館では読めない(数年前、けっこういい値段で古本をようやく手に入れた)。

 原作の舞台はアメリカ南部の田舎町。活気のない、白っぽい家々。空気の動かない風景。すべての目的を失ったような人々。物静かな聾唖者シンガーの周りを孤独な登場人物たちが取り巻く。人生に絶望している酒場の亭主、やり場のない憤りに孤独感を募らせる黒人医師、社会への不満に自分を御しきれない流れ者、そしてすでに薄々は現実の苦しさを知りながらすがりつくように夢を信じる少女ミック。シンガーを中心にフーガのように物語は進んでいく。誰もがシンガーに孤独から逃れる光を見出すが、シンガー自身の深まっていく孤独には誰も気がつかない。やがて……。  

 この小説を読んだのは二十歳ぐらいだったろうか。作者が二十三歳の時の作品と知って驚愕するとともに、あまりの差に絶望的な思いを抱いた記憶がある。  

 数十年ぶりの再会は、なんとも切ないものとなった。映画は原作よりシンプルな構成になっていて、シンガーとミックに焦点を絞ってストーリーが進んでいく。私の中では、原作の記憶と映画の記憶が混ぜ合わさっていたらしい。見ているうちに、映画が妙に薄っぺらな気がしてきて、うまく集中できなくなった。映画だけしか知らなければ、そうでもないのかもしれないが、原作と比べるとシンガーの焦燥も孤独も絶望もうまく伝わってこない。だから、最後の結末が唐突に感じられて仕方がなかった。高校生の時に忘れがたい印象があった映画だが、映画が古びたのか、私が古びたのか。会わない方がいい人もいるということか。

 アラン・アーキンとソンドラ・ロックの印象は変わらなかった。特に、ソンドラ・ロックが演じる金髪の少女「ミック」は今も鮮烈だった。大きな目、尖ったあご、少年のように細い手足、薄い胸、一生懸命背伸びしながらも、少女そのものといってもよい繊細で不安定な仕草。(原作では、膨らみかけた乳房が気になって、ミックはいつも無意識にシャツの胸の部分をつまんでいる、というような描写があったのを覚えている)。

 この人が出た映画は何本か見ているはずだが、いつでもミックの姿しか思い浮かばない。この映画がソンドラ=ロックのデビュー作。このあとの彼女の波乱の人生を考えると、ミックの孤独と失意が重なり合ってくる(そして、マッカラーズの人生も)。

 最近、マッカラーズの「結婚式のメンバー」が村上春樹の訳で出たので、大切に枕元に積んであるのだけれど。

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