読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

日付のない便り

日々のとりとめのない覚書 映画や読書 そして回想

舞妓はレディ 再びサイズの問題

映画ー邦画

 中二の息子と一緒に、「ちはやふる」を「上の句」「下の句」(前後編)と映画館で見ることになった。小学校の百人一首大会で、どうやらクラスのチャンピオンだったらしい息子は、百人一首の映画だから見たかったというような雰囲気を漂わせているが、実は主演の広瀬すずの密かなファンらしく、画面を見ながら、けっこう力が入っているのがわかる。私が「ちはやぶる」と発音すると、映画の題名は「ちはやふる」と濁らないのだと、口を尖らせたりする。面倒くさいので、そりゃどうも、で済ませることにした(その通りらしい!)。その広瀬すずの部活仲間で、素っ頓狂な呉服屋の娘が、「舞妓はレディ」で主役を演じていた上白石萌音だということに、下の句を見ていて初めて気づいた。息子から、えっ、そんなのはじめからわかってたじゃん、と半ば軽蔑的な視線。

 この映画では、なかなかいい味出していて好演といってよいのだが、「舞妓はレディ」を見たときの印象を思い出して、なるほど映画のキャスティングというのは難しい、と考えさせられた。

 実は、「舞妓はレディ」も息子に勧められて見たことを思い出した(息子は6年生だった)。その頃の息子にとっては随分気に入った映画だったようだが。以下、そのときの感想。

f:id:kssa8008:20160726193030p:plain

 

  舞妓はレディ

 やっぱり、日本映画でミュージカルは上手くいかない。いきなり歌い始めることの違和感は、あちらの映画だと感じないのに日本映画だとどうにも気恥ずかしくなってしまう。そう感じてしまうのは、私の勝手で楽しく見れる人にとっては面白い映画ということになるかもしれない。現に、小学6年生の息子はえらく気に入っていた。

 俳優陣は富司純子も草刈民代も、長谷川博巳も濱田岳もずいぶん頑張っているが、いかんせん主役の上白石萌音がいけない。演技や歌がどうこうというより、何と言ってもサイズが足りない。かといって、可憐というタイプでもない。スクリーンの大きさに堪えられない。そもそも、舞妓は小柄な方がそれらしいし、踊って歌う主役はそれなりのサイズかもしくはサイズを超越したなんらかの魅力が必要なわけで、この主役の設定ははなから矛盾している。足が妙に長いスタイル抜群の舞妓は、おかしいだろうし、かといって、さなぎが蝶に孵る驚きもなくてはいけない。オードリーとはいわないが、よほどの逸材を選ばなくては成功は難しい。見終わってみると、私には、周防正行監督をもってしても、これはクリアーできなかったのではないかと率直に感じる。

 それにしても、草刈民代は完全に化けた。これは、驚き。彼女一人が、花街の持つ毒の部分を請け負ってリアリティがある。

 もしも、同じ素材をシリアスに描いたらどんな映画になったか。

 ※なんとも失礼な感想で申し訳ない。あの頃は、こんなふうに思っていたということ。「ちはやふる」の彼女は別人でした!