日付のない便り

日々のとりとめのない覚書 映画や読書 そして回想

あと500冊の本  

 山田風太郎に「あと千回の晩飯」という随筆集があるが、ここ何年か、それまでほぼ無限と思っていたものが、もうかなり正確に数えられるようになったことを意識し始めた。定年の時、これから好きなだけ本が読めますね、と何人かの人に言われた。私は、本好き、読書好き、ということになっていたので、もちろん私の第二の人生を祝福しての言葉だとはわかっていたが、なかなかそうはいかないよ、という思いもあった。f:id:kssa8008:20160726221643p:plain

  

 確かに、自由な時間は以前よりとれるが、自由になった時間をすべて読書に費やすだけの気力も視力も衰えてきている。若い時なら、夜を徹して読んだような本も、自制しなければ睡眠不足で3日はこたえてしまう。まあ、せいぜい1週間に2冊程度、大部の本なら1冊がせいぜい、というところか。そうすると、1年間で多くて100冊、いや、きっと自堕落な性格も年とともに嵩じて、50冊読めれば御の字。あと、10年として500冊。この辺で、思わず唸ってしまった。

 あと、500冊。それなら、つまらない本は読みたくない。これを読めば、何かのためになるとか、何かの役に立つとか、そういうのも嫌だ。見栄や体裁で本を選ぶことは、最もばかばかしい。かといって、昔読んだことのある、安全な本ばかり読んでいるわけにもいかない。新しいものを補充しない読書生活も送りたくない。もともと、大して眼力もないわけだから、これまでどおり人の意見やアドバイス、書評など本を選ぶための情報は大切にするが、まず、鵜呑みにしないで、自分でよくよく考えて判断しなければ、後悔することになる。まして、本を購入する財力も日に日に乏しくなっていくわけだから、これは切実なことだ。それから、いつ何があっても良いように、本当に大事な本があれば、無理をしても手元に置いておくべきだ。いざという時、読みたい本が手元にあるのは心強い。

 とは、考えたものの、実際に定年から1年半、私の読書生活は想像した以上に貧しい。でも、とにかく、まあ、毎日、少しずつ好きな本を読み、部屋の片隅に、目立たぬように大事な本を少しずつ増やしている。よしとしなければいけないか。

 できれば、荷風と白鳥の全集を手元に置きたいのだが、これは諸事情から無理かもしれないと思い始めている。