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日付のない便り

日々のとりとめのない覚書 映画や読書 そして回想

忘れられた作家  『足摺岬』の行方

忘れられた作家

 『卯の花くたし』『鹿ケ谷』『比叡おろし』『菊坂』と目次の順に並べていっても、誰の作品かわかる人はあまりいないだろう。『絵本』『足摺岬』と続くと、私の年代だとああそうかと頷く人もいるだろうが、今も愛読しているとなるとやはりそう多くはあるまい。私は文学の研究者ではないから、位置とか価値とかはよくわからないが、どうやら田宮虎彦は、もう忘れられた作家であるらしい。f:id:kssa8008:20160727221409p:plain

 

 図書館でも、開架の書架には文学全集の一部にしか、この作家の著作はない。さすがに閉架書庫にはあるが、借りてみると長年読まれた雰囲気を感じない。文庫本は講談社文芸文庫に一冊入っているが、あとは古本に頼るしかない。電子書籍にも作品は入っていない。晩年、不遇だったこの作家にはまとまった全集はない。全6巻の作品集の奥付は昭和31年である。定年になって、この作品集を一番最初に買い求めた。冒頭の目次は第3巻のものである。初めて手に取った時、作家のサインが入っているのに戸惑った。予期していなかった。  

 購入して1年以上も過ぎて、ようやくこの作品集を手に取った。この作家に初めて触れたのは中学の終わりのころであろうか、それとも高校に入っていたのか。長い間、この作家の作品は私を捉えて離さなかった。高校2年の頃だろうか、学校の広報誌か何かに請われて、『足摺岬』について、「私の愛読書」という文章を書いたことがある。友人の中には、トルストイやドストエフスキーを読んでいたり、『砂の女』などを手にしている者もいたので、どこか甘やかなこの小説について書くのは少し気恥ずかしかった記憶がある。だが、その甘やかな部分も含めて、私は田宮虎彦の一連の小説に心惹かれていた(世評高かったという『落城』『霧の中』のような歴史ものよりも、一連の私小説系の作品が好きだった)。  

 暗い、理不尽なほど暗い、およそ希望のない、哀切な人生を描く田宮虎彦の小説に、あの頃、まだ少年であった私は何を見ていたのだろう。小説の主人公たちに自分を重ね合わせるような過酷さを、私は当時も今も経験していない。にもかかわらず、いまだに心が揺さぶられるのはなぜなのだろうか。

 一編、一編読み返していくと、この歳になってもこの作家の作品は私の心に沿って離れない。どの文章もどの部分も、余すところなく、ぴったりと私のどこかにあてはまるのである。

 

 

『絵本』冒頭部分  

 麻布霞町の崖下にあった私の下宿には、三連隊の起床ラッパが遠くかすかに聞こえてきた。それは青山墓地の崖肌を這い木々の下枝をぬって、切なくかなしげに聞えて来ては、しばらくはしめっぽい余韻を私の耳にまつらわせるのだった。  

 私は大学にはいったばかりであった。というより、やっと大学まで辿りつくことが出来たばかりといったほうがよかったであろう。三連隊の起床ラッパがきこえて来るのは、そんな私が夜通し謄写版の原紙をきりつづけ、やっと冷たい蒲団にくるまった頃であった。私は、これからつづく大学の三年間を、その謄写版の原紙きりの仕事だけで支えていこうと真面目に考えていたのだった。  

 

 高校生の頃、この作家が随筆か何かで、自分は徳田秋声、中山義秀のあとに続きたい、というようなことを書いているものを読んだ。それをなんとなく覚えていたのだろう、私はやがて義秀の『碑』『厚物咲』を手に取り、さらにずっとあとのことになるが、秋声の『新世帯』『黴』『町の踊り場』へと至る(義秀も秋声も、やはり忘れられた存在なのかもしれないが)。

 

  それにしても、今の図書館は私の年代にとってはひどく寂しい。書架に住んでいるのは、親しみのない隣人ばかり。慣れ親しんできた友人も恩師も、名前だけはよく知っていた町会の人も、皆、引きこもってしまた。しばらくぶりに会いたいと思う時は、コンピュータの端末を叩いて、呼ばなくてはいけない。もしかしたら10年も住むことのなさそうな人の、派手な意匠の荷物ばかり増えているような気がするのは、僻みだろうか。