日付のない便り

日々のとりとめのない覚書 映画や読書 そして回想

老いらくの恋  川田順の炎

 中井貴一と小泉今日子のテレビドラマ「最後から二番目の恋」(CSの録画です)を見ていて、ふと、「老いらくの恋」という言葉を思い出した。川田順は、あの時何歳だったのか。実は、今の私より、若かったのかどうかが気になったのだ。

 本棚にあった「集成昭和の短歌」を取り出した。日常的に読んでいるわけではないが、短歌は好きで、何冊か本棚に短歌のアンソロジーが置いてある。私は、特別な愛好者でも研究者でもなく、きまぐれな読者であるから、当然一冊を通して読んでいるわけではない。所々に鉛筆で丸印が付いている。パラパラと読んでは、好きな歌や気になる歌に印をつけたのだろう。川田順の歌にはけっこう丸印がついている。

 

    家びとら怪しみもせずこのごろの癖となりたる吾が嘆息(ためいき)を        

 別れきてはやも逢ひたくなりにけり東山より月出しかば             

 吾が髪の白きに恥づるいとまなし溺るるばかり愛(かな)しきものを

 むらさきの日傘のいろの匂ふゆえ遠くより来る君のしるしも 

 押し黙りわれは坐りぬこの恋を遂げるつもりかと友のおどろく  

 君が来て今の今まで坐りゐしたたみの上に吾が臥(ね)まろびつ

 垂乳根の母なることを忘れよと今日は言はむかも鬼にもなりて

 

 

 

  印が付いているのはこんな歌だ。この不思議な情熱に満ちた一連の歌を、川田順は何歳の時に読んでいたのだろうか。

  

 前記の本に掲載されている略歴は以下のとおり。  

 川田順 1882〜1966  東京都生まれ。東大法学部卒、住友総本社に入り、実業界で活躍。「心の花」同人。「伎芸天」は浪漫的であるが、「山海経」で人生味を付加。「東帰」は老いらくの恋を読む作品が話題となる。研究「西行の伝と歌」、歌文集「国初聖蹟歌」、 代表歌集「鷺」「寒林集」。

 

  すでに歌壇の重鎮であり、経済人としても一流であった川田順は、昭和14年に妻と死別していた。昭和19年、短歌の弟子として3人の子を持つ大学教授夫人鈴鹿俊子と出会い、恋に陥る。戦前はまだ姦通罪があったわけだから、まさに禁断の恋といえる。

 橋の上に夜ふかき月に照らされて二人居りしかば事あらはれき  

「老いらくの恋」が世間を騒がしたのは昭和23年。この歌のとおりに、琵琶湖疎水の橋の上に二人でいるところに、外出していた俊子の夫に出会い二人の仲は露顕したらしい。その後、俊子の家出、俊子夫婦の離婚、順の自殺未遂、そして順と俊子の結婚。順は俊子との生活を得るが、それと同時に多くのものを失う事になる。昭和23年は、計算してみると川田順は満で66歳、俊子から39歳ということになる。 

 ネットで写真を見ると、川田順は細面の品のいい老人である。歌に詠まれた強烈な感情は写真からはなかなかうかがいしれない。二人が出会った時、すでに順は、今の私と同じか一つ年上という事になる。    

 今、この年齢になってみて、川田順の歌を読むと、「老いらくの恋」の是非はともかく、自分の中にも、まだ火種がどこかにあるのだろうか、と思う。人の中の炎が燃やすのは恋だけではあるまい。私は持病もあって、なかなかうまくいかないことや悩ましいことも多いのだが、自分の中の火種をチョロチョロでもよいから絶やさないようにできればいいなと思ったりする。  

 ちなみに順は84歳で死去。鈴鹿俊子は96歳まで生きた。

 ドラマから思わぬことを記すことになった。

※この二人をモデルにした辻井喬の小説「虹の岬」は残念ながら未見。  

 

虹の岬 (中公文庫)

虹の岬 (中公文庫)