日付のない便り

日々のとりとめのない覚書 映画や読書 そして回想

「不屈の棋士」 棋士たちの未来・私たちの未来

「不屈の棋士」 大川慎太郎 講談社現代新書  

 半年前には、「将棋の渡辺くん」を大笑いしながら読んで、やっぱり「将棋指し」って、いいなと思ったのだが、この本を読みとそう悠長な時代ではないらしい。たまたま見たプロ棋士山崎隆之八段とコンピュータソフトの棋戦、叡王戦のドキュメンタリーとも重なって、読み進めながら、棋士たちの覚悟と緊張が伝わってきて熱くさせられた。それとともにどこか理不尽な、何か義憤といっても良いような感情が湧いてきて戸惑うことになった。

不屈の棋士 (講談社現代新書)

 

 

 将棋と将棋指しの本は、けっこう読んできた。河口俊彦の「一局の将棋 一局の人生」「大山康晴の晩節」、大崎善生の「聖の青春」「将棋の子」、古くは山口瞳の「血涙十番勝負」等々。一時期、将棋に凝っていた時期もあって入門書や解説書も購入したりしていた。将棋は小学校の高学年くらいから遊びの一つとして指していたが、どこまでもヘボで、まったく強くならなかった。それでも、将棋は好きだった。
 ヘボからすると棋士は超人であった。普通の感覚、一般の常識からいえば、破天荒な言動や奇妙と言える生活ぶりも魅力的だった。
 棋士への信頼を支えているのが、彼らの圧倒的な強さだった。よく将棋に評論家はいないといわれた。プロの棋士の思考や発想、心理、あるいは卓越した技術はプロの棋士にしかわからないという理由だ。だから、プロの棋士だった河口俊彦の著作は、ある意味傑出していた(もちろん、優れた文章力や観察眼、作家的な感性があってこそだが)。
 

 そのプロ棋士の圧倒的な強さが、コンピュータソフトの急速な進化の前で、大きく揺らいでいる。いや風前の灯火といってもよい。叡王戦では、コンピュータソフトの手は、ロボットが代わりに指す。将棋盤を挟んでロボットと対峙しながら、苦悶する山崎八段の姿が、私には、あの「ターミネーター」の映画と二重写しになった。あまりに早く、コンピュータに対する人間の絶望的な戦いが始まったことに、驚きを禁じ得なかった。
 

 本書は観戦記者である大川慎太郎が、11人の棋士へのインタビューをまとめたものである。羽生善治、渡辺明、森内俊之、佐藤康光、行方尚之、山崎隆之、糸屋哲郎、村山慈明、勝又清和、西尾明、千田翔太。こうやって名前を連ねても、実は、顔と名前が一致するのは最初の4人だけだ。羽生善治(森内俊之、佐藤康光らも含めた世代)が全盛期を迎えたあたりで、私は将棋と棋士への興味が薄れて、それまではぽつぽつ読んでいた「将棋世界」などの雑誌も次第に目を通さなくなったからだ。それは個人的な事情(お決まりの仕事や家庭のことだが)もあるのだが、やはり世代的な違和感もあったの、だと思う。特に羽生善治は、中原誠や米長邦雄、さらに谷川浩司までの棋士とは、どこか異質な印象があった。その正確な読みと大胆さ、メンタル面での強靭さに、いわば機械に触っているような冷たい手触りを感じていたのだと思う。それはもちろん素人の思い込みなのだが、そのころはそんなふうに思っていた(本書を読んでも、私の勝手な思い込みだということもわかるのだが)。
 

 40代半ばを過ぎて、羽生、森内、佐藤がトップ棋士であることを維持しているのは驚異的なことだが、だからこそ、コンピュータソフトに対する打撃は大きいのかもしれない、読む前に目次を眺めながらそんなことを考えていた。
 
 著者の大川慎太郎は、11人の棋士達にほぼ同様の質問を投げかける。
・ソフトを活用しているかどうか
・結局ソフトと棋士はどちらが強いのか
・ソフトに勝つ自信はあるか
・ソフトを使い始めてどう将棋が変わったか
・ソフトを使うことのデメリットは
・ソフトを使っている棋士が増えたことで棋士がさす将棋が変わったか
・ソフトが棋士より強くなった時、棋士の存在価値はあるか
・人間にしか指せない将棋はあるか
・ソフトと共存共栄はできるのか

 本書の構成は、序章で将棋界の成り立ちと将棋ソフトの発達の歴史、現在の課題とポイント、第1章から棋士達へのインタビューとなっている。それぞれの章の表題は以下の通りだ。
 第1章 現役最強棋士の自負と憂鬱  羽生善治 渡辺明
 第2章 先駆者としての棋士の視点  勝又清和 西尾明 千田翔太
 第3章 コンピュータに敗れた棋士の告白 山崎隆之 村山慈明
 第4章 人工知能との対決を恐れない棋士 森内俊之 糸屋哲郎
 第5章 将棋ソフトに背を向ける棋士 佐藤康光 行方尚之

 将棋ソフトへのスタンスは、それぞれの棋士によってかなりの差異がある。ただ次のような点では、ほぼ見解は共通している。

  • まだはっきりとは決着はついていないが、将棋ソフトの強さ、特に中盤、終盤の強さについては、どの棋士も認めていること
  • ソフトによってこれまでの将棋の常識がいくつも覆されていること
  • 棋士がソフトを利用する棋士が増えたことで、間違いなく将棋が変わったこと
  • 将来的に、おそらくかなり近い将来、確実にソフトが棋士を超えるだろうということ

 これだけをとりあげたら、ほぼ絶望的な状況に思える。だが、棋士の矜持は絶望を拒んでいる。
 例えば、コンピュータソフトに最も詳しい棋士の一人、勝又清和は、羽生さんでもソフトに勝つのは厳しいですか、という質問に羽生さんがベストのパフォーマンスをすれば勝てると思う、と答える。最強棋士の一人、渡辺明は、自分はコンピュータと戦うためにプロになったわけではない、という。佐藤康光は将棋はそんな簡単なものではない、と繰り返す。

 わずか数年のうちに、職業としての存亡まで問われる状況に置かれた棋士たちの当惑と懊悩は続く。一方で、今の状況を受け止め、未来を切り開かねばならないという覚悟は、トップ棋士ほど強いようだ。そして、読み進めていくうちに著者の眼差しも次第に深くなっていく。
 
 印象に残るのは、将棋ソフトを使って研究をすると、自分で考えなくなる、棋力がつかない、と考えている棋士が多いことだ。その強さを認めながらも、使うのは人間であり、将棋は人間と人間がするものであるという当たり前のことを、もう一度引き寄せようとする強い意志が感じ取れる。
 
 本書に描かれている現実は、将棋と棋士の世界にだけ起こっていることではない。私たちすべてにとって、かなり近い将来に起こるべきことなのかもしれない。今度インタビューを受けるのは私かもしれないし、あなたなのかもしれない。

 本書は「ターミネーター」とは別の未来像を描くために、示唆に富む読み応えのある一冊である。

 なお、次期の叡王戦に、羽生善治がエントリーしたそうである。心から、エールを送りたい。
 

 

将棋の渡辺くん(2) (ワイドKC 週刊少年マガジン)

将棋の渡辺くん(2) (ワイドKC 週刊少年マガジン)

 

  

一局の将棋 一回の人生 (新潮文庫)

一局の将棋 一回の人生 (新潮文庫)

 

 

 

kssa8008.hatenablog.com