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日付のない便り

日々のとりとめのない覚書 映画や読書 そして回想

「砂の女」  本棚の片隅に

読書

砂の女 
 

 安部公房の「砂の女」を、私は読んでいない。読まなかったのにはちょっとした理由がある。

 

砂の女 (新潮文庫)

砂の女 (新潮文庫)

 

 

 

 何日か前に、還暦祝いに高校の同窓会を開いたという記事を載せたが、その準備のための幹事会の時、私の歳になれば当然のことだが、幾人かの物故者の話題がでた。
「Hの奴、今年亡くなったそうだ。Hの兄貴から丁寧な手紙を受け取った」
 Hとは高校2年の時、同じクラスだった。極めて頭脳明晰な男だった。いつでもテストは、学年で2番か3番。こちらは3桁の後ろの方にいたから、ほとんど雲の上の存在だ。しかし、およそ人望はなかった。思ったことを遠慮なく口に出す。人に気を使うとことはまずない。確かに優秀だが、人に教えるというようなこともない。どうも煙ったい存在、変わり者、傲岸不遜。積極的に付き合う者はいなかった。それでも、本人は困った風もない。我が道をゆく、という感じで平然としていた。
 私も、級友と一緒であまりお付き合いしたいとは思っていなかったが、なにしろ出席番号が近いので接触する機会が多い。なんとなく親しいような親しくないような奇妙な距離を保つことになった。修学旅行では、結局、彼を引き取るような形で同じ班になり、他の班が京都の街をゆったり歩いている時に、彼の発案で(暴走といってもよいが)、飛鳥寺だ、石舞台だとかけずりまわることになった(彼は考古学やこの時代の歴史を実に詳しかった)。
 今思えば、Hは聡明なだけでなく、きわめて早熟で、自分を恃むことの強い高校生だったのだろう。周りから見ると、いわば孤高の存在だったが、本人は自分の強みも弱みも分かった上で、あえてそうあろうとしていたのかもしれない。確かに、彼は時に独善的で、時に傲岸であったが、決して狷介というわけではなかった。だから、呆れることはあっても、付き合っていて不思議に不快ではなかった。3年になって、クラスが変わり、大学も別だったから、彼がその後どんな人生を送ったのかはわからない(幹事の中にもそう親しいものはいなかったようだ)。だが、亡くなったと聞くと、若い時の彼との交流が、切れ切れながら、鮮やかに蘇るのである。

 ある時、Hと、何かの拍子に本の話になったことがあった。彼がかなり読書家でもあることは知っていたが、なんにでも一家言ある男だから、素直な話にはならない。私の幼い読書体験など、鼻であしらわれ、ああだこうだと否定された。結局、彼がいうには安部公房の「砂の女」ぐらい読んでなければだめだ、ということなのだったが、その頃、私は安部公房の名前もよく知らなかった。

 人はつまらない理由で、しばしば大切な機会を失うものだ。私も未熟ながら、また、自分を恃むことの強い多感な時期だったのだろう。一度手にしながら、結局『砂の女』を読むことはなかった。以来、この書は読まれなかった本として、私の本棚の中に収まっている。

 さて、この夏、読むかどうか。

後記

 ちなみに、「砂の女」の映画は、どこかの名画座で見た記憶があるが、いつ頃、どこで見たのかは定かでない。

 

kssa

 

kssa