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日付のない便り

日々のとりとめのない覚書 映画や読書 そして回想

風呂上がりの牛乳は美味しいか  銭湯の頃

  テレビドラマ「世界一難しい恋」に風呂上がりの牛乳の話が出てくる。
 ホテルに中途採用されたヒロイン(波瑠)が、気難しい社長(大野智)に自社のホテルについて意見を求められ、自社のホテルではどこにも牛乳が売っていないことを指摘し、客は風呂上がりに牛乳を飲みたいと思うのではないかと答える。牛乳が置いてないのは、この社長が牛乳嫌いだからなのだが、ドラマの筋とは関係なく、アレっと思った。風呂上がりに牛乳というのは、今でも普通なのか、という疑問である。ドラマが進むとこのヒロインが銭湯に通っていることがわかるのだが、それでも、やっぱり違和感がある。
 この世代だと、銭湯もそう一般的でなくなっているし、給食で出てくる牛乳もパック牛乳が多いはずだ。風呂上がりは牛乳、というのに、私はとりあえずうなずけるが、今の若い人たちも納得できるのだろうか。

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 私は東京の東のはずれに育って、今も住んでいるが、比較的まだ銭湯が多く残っている地域だ。それでも、住まいから半径1キロ以内に銭湯はもうない。 
  私の子どもの頃は、内風呂のある家はまだ少なかったから、銭湯はどの時間も混んでいた。芋を洗うように混み合う時間もあった。その頃は、ステテコ姿や上半身裸で銭湯に行くおじさんもたくさんいた。銭湯にはタライに石けんやタオルを入れて行った。まだシャンプーなんかは使っていなかった。
 大人にとってもそうだったのだろうが、子どもにとってっも、その頃の銭湯は一種の社交場だった。学校で行く時間を約束して銭湯に行った。3時頃にいって、1時間ぐらい遊んでくる。それより時間が遅くなると、子ども連れや仕事を終えた人たちで銭湯はごった返す。身体を洗って、湯船に浸かって、それから湯船のへりに並んで座って、たわいないおしゃべり。二つある湯船の間を潜って通り抜けようとする奴がいたり、浸かりすぎて気持ち悪くなる奴がいたり、いつもなかなかにぎやかだった。うるさくしすぎて、背中に刺青のはいったおにいさんにやんわり怒られたり(こういう怖そうなタイプはやんわりが多い)、一見おとなしそうなおじさんにガツンと怒鳴られたり。もう、出ようとしていると、別の友だちが入ってきて、えっ、もうでるの、つきあえよ、というような調子で、強引に誘われてそれからまた1時間。今度は家に帰ってから、母親に怒られることになる。

 父といったりすると、風呂上がりに牛乳が飲めたりした。それでも、風呂上がりに牛乳は結構贅沢で、母に牛乳代をねだると、家に帰って飲みなさい、と言われてもらえなかった(あの頃は、牛乳への信頼(?)が厚く、子どものいる家は大抵牛乳をとっていた。門や玄関の脇に、牛乳の配達用の箱が設置されていた。もちろん、牛乳は全て瓶に入っていた)。
 牛乳こそ、健康の素、というのは大人も子ども堅く信じていた。牛乳を飲んでいれば背が伸びるというのは定説だった。したがって、コーヒー牛乳などは邪道だった(コーヒーは子どもに毒だ、という説もごく一般的に認められていた)。ましてイチゴ牛乳とかフルーツ牛乳となると、銭湯で風呂上がりに口に入ることはまずなかった。
  
 父の隔週での夜勤が始まって、家の裏に無理をして狭い風呂を建て増ししたのは、いつ頃だったか。いつの間にか、風呂は家で入るものとなり、銭湯とも疎遠となった。
 
 風呂上がりはやっぱり牛乳だな、と思ったのは大学生の頃だ。その頃、違う町で銭湯に通う時期があった。その頃の牛乳の味は、思い返すと、甘酸っぱく、また苦いのだが、それはまた別の話になる。

 私だけでなく、風呂上がりは牛乳、というのにはひとそれぞれ思い入れがあるだろう。波瑠と大野智が飲んだ牛乳どんな味だったのだろう。 面白いドラマだったが、どうも細かいところが引っかかるのだ。