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日付のない便り

日々のとりとめのない覚書 映画や読書 そして回想

「レ・ミゼラブル」のこと  ジャン・ヴァルジャン?

 「レ・ミゼラブル」のこと

 夏になると『レ・ミゼラブル』を読み返す。といっても、大体あちこちと虫食いのような読みかたで、最後まで読み切ったのは3回ぐらいか。実は、幾つかの場面を読みたいがために読み返している、といってもよいのかもしれない。

 例えば、主人公ジャン・ヴァルジャンが、コゼットに初めて出会う場面だ。これまで私が読んできた小説の中で、最も美しい場面の一つである。

 オリオン号から故意に転落し、再び脱獄したジャン・ヴァルジャンは「死んだ女との約束を果たす」ために、モンフェルメイユを訪れる。クリスマス・イヴの夜、テナルディエ夫婦にいいつけられて、自分の体より大きな桶を持って水汲みにきた8歳のコゼットに、ジャン・ヴァルジャンは村はずれの泉で初めて出会う。

 人と人との運命的な出会いを描いたこの場面の美しさは比類がない。少しだけ引用してみよう。

レ・ミゼラブル (2012) (字幕版)

 

彼女は一種の痛ましい嗄れた音を立てて息をしていた。すすりなきがこみ上げてきて喉がつまりそうだった。けれど泣くこともなし得なかった。それほど彼女は、遠くにいてもテナルディエの上さんを恐がっていた。テナルディエの上さんがいつも目の前にいるように考えるのは、彼女の習慣となっていた。

 彼女はそんなふうで道をはかどることができなかった。彼女は少しずつ進んでいた。立ち止まる時間を少なくし、そのあいだあいだをできるだけ長く歩こうと、いくらつとめてもだめだった。こんなふうではモンフェルメイュまで戻るには一時間以上もかかるだろう、そしてテナルディエの上さんに打たれるだろう、と考えては心を痛めた。そしてその心痛は、夜ただ一人で森の中にいるという恐怖の情に交じっていた。もうすっかり疲れ切っていたのに、まだ森から出てもいなかった。そして、かねて見知っている古い栗の木のそばまできた時、よく休むために最後に一度少し長く立ち止まった。それから全力をよび起こして、桶を取り、元気を出して歩きだした。けれども絶望的なあわれな少女は、思わず声を立てないではおれなかった。「おう神様! 神様!」

 その時、彼女はにわかに桶が少しも重くないのを感じた。非常に大きいように思われた一つの手が、桶の柄をつかんで勢いよくそれを持ち上げたのだった。彼女は頭を上げた。まっすぐにつき立った黒い大きな姿が、暗やみの中を彼女と並んで歩いていた。それは彼女の後ろからやってきた一人の男で、その近づいて来る足音を彼女は少しも耳にしなかったのである。男は一言も口をきかないで、彼女の持っている桶の柄に手をかけていた。

 人生のいかなるできごとにも相応ずる本能もある。少女は別に恐怖を感じなかった。

  青空文庫「レ・ミゼラブル」ユゴー作 豊島与志雄訳 より抜粋

 

 

 だが、2012年公開のミュージカル映画「レ・ミゼラブル」には、この場面はない。名作ミュージカルの映画化ということで、公開時に映画館で見たのだが、随分不満が残った。(もともとミュージカルがあまり得意でないのだから、とても見巧者というわけにはいかないので、勝手な戯言と思っていただいて良いのだが)特に、気になったのは、ジャン・ヴァルジャンが超人的な力持ちに見えないことだ。ウルヴァリン役ではあんなにたくましく見えたヒュー・ジャックマンが、この映画ではスマートに見える。

 この小説では、ジャン・ヴァルジャンが、無類の力持ちであることを前提に、彼の運命の変転が語られていくのだから、これは、私には致命的なものに感じられる。いや、ジャン・ヴァルジャンだけではなく、ジャヴェール役のラッセル・クロウもファンチーヌ役のアン・ハサウェイもしっくりこない。2000年に作られたフランスのミニシリーズ版も以前見たのだが、ジャン・ヴァルジャン役にジェラール・ドゥパルドュー、ジャベール役にジョン・マルコヴィッチ(!)、ファンチーヌ役にシャルロット・ゲンズブール。こちらは原作にかなり忠実で、なるほど、ジャン・ヴァルジャンだ、いかにもジャヴェールだと頷けるものがあった。そして、ジャン・ヴァルジャンとコゼットの出会いの場面もきちんと描かれていた(そう、美しくはなかったが)。

 もちろん、ストレートドラマとミュージカルの違い、原作と映画の違い、映画と長編テレビシリーズの違い、とはわかっていても、何十年も思いこんできたことでは、なかなか納得するのが難しい(ジャン・ギャバンが主演の1957年版も、見ているが詳細は覚えていない)。

 今年はちくま文庫版が新訳で出ているのを知ったので、また挑戦してみようと思う。

 

 

 

レ・ミゼラブル〈1〉 (ちくま文庫)

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後記

『レ・ミゼラブル』でもう一つ心に残る場面をあげれば、ジャン・バルジャンがジャヴェールに追われて、コゼットを抱えながら、夜の闇の中、パリの街を逃げ回る場面である。サスペンスの極地といってよい。最近の凡百のサスペンス小説ではとても歯が立たない。

 

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