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日付のない便り

日々のとりとめのない覚書 映画や読書 そして回想

「ある愛の詩」の頃   アリー・マックグローの眉

映画ー洋画

「ある愛の詩」の頃

 アーサー・ヒラー監督が亡くなった、といかにもよく知っているかのように書き出したが、略歴などを眺めてみるとこの監督の作品ではっきりと見た記憶があるのは「おかしな夫婦」「ある愛の詩」「あきれたあきれた大作戦」「大陸横断超特急」の4本だけだ。カナダ人だというのも知らなかった。

「ある愛の詩」は高校2年生の時に、日比谷の有楽座で見た。男ばっかり4、5人で行った。昼間、学生服で学校から直接行ったのだから、多分学校の校外授業の一環だったのではないかと思う。私の通っていた高校では、その頃、1年に1回、芝居や映画を見る日があった。

 この映画は爆発的ヒットでかなりロングランをしていたが、私も、一緒に行った私の友達もまだ見ていなかった。確か、「愛とは後悔しないこと」というのがこの映画の宣伝のフレーズだったが、その日一緒に見に行ったメンバーはこのフレーズとはまったく無縁だった。

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  物語は、恋愛映画の常道ともいうべきストーリー。名家の御曹司と身分の違う庶民の娘(多分、移民の娘)が、恋に落ち、親の反対を押し切って結ばれる。貧しいながら、懸命に働いて道が開けようとする時、娘の余命が幾ばくもないことが宣告される。

「愛と死を見つめて」や「世界の中心で愛を叫ぶ」など、純愛映画は洋の東西を問わず、間歇泉のように、周期的に爆発的なヒットをする。それは、それで、純愛に飢える需要は年齢に関わらず、絶えずあるのだからいつ見ても、ある種の感動を呼ぶのは当然なのだろう。一方で、こういう映画をみると、鼻白んだり尻がこそばゆくなってしまう者もいる。ある人によっては永遠の名作であり、ある人にとっては通り過ぎていくだけの作品ということになるのだろう。

 私はどうかというと、けっこう素直に感動してしまう方なのだが、この映画は、あまり胸詰まる思いをした記憶がない。

 それは、ヒロインのアリー・マックグローの印象のせいかもしれない。特にあの眉だ。帰り道、なんで、あんな太いんだ、という話になった。アリー・マックグロー=「ありゃ―、真っ黒―」という冗談がしばらく受けた。ライアン・オニールが、童顔の二枚目なので、妙に不釣り合いに見えた。それほど、これまでのアメリカ映画のきらきらしたヒロインとは印象が違った。そして、高校生だった私は、このヒロイン像にあまり魅力を感じなかった。今、見直してみれば、まったく違う印象を受けるのかもしれないが。

 それよりも、よく覚えているのは、男ばかりでこういう映画を見にきている自分たちがひどく場違いに思えて、有楽座の広いフロアが実に居心地が悪かったことだ。「ある愛の詩」は、別の意味でやるせない思い出のある映画だった。

 

追記

 ライアン・オニールは「ペーパー・ムーン」や「バリー・リンドン」の印象が強い。ここでは妙に深刻な眉を寄せた表情しか覚えていない。

 テレビで放映した時、吹き替えが三浦友和と山口百恵だったらしい。これもまたすごい。

 

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