日付のない便り

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酒の歌など  牧水を想う

 酒の歌など 牧水を想う

 最近、情けないほど酒が弱くなってきた。ちょっと晩酌が過ぎると眠気を堪えきれなくなる。晩酌といっても、せいぜいウイスキーのハイボール一杯とか、麦酒350ml1本程度だ。もともとそう強いわけでもないし、そう好きなわけでもなかったから、以前は家では飲まなかったのだが、ここ14、5年程は毎日欠かさなくなった。少しでいいのだが、飲まないとなんとなく寂しかったし、疲れが取れなかった。

    昨年、仕事も一線を退いて、飲み会も稀になった。それで、特にものたりないということもなく、どこかせいせいしているのだが、結局晩酌は続けている。習慣ということもあるが、どうやら、晩酌が楽しみになっているらしい、と気づいた。酒がうまいと思えることが増えてきた。それまで大してわからなかった酒の味が、少しわかるようになった気がするのだ。

  そうすると、今度は酒が弱くなってきたことが惜しいような気になってくるのである。別にそう先を心配しているわけではないのだが、こうやって酒がうまいと感じる時間がことさら大切に思えてくるのである。

 

   それほどにうまきかと人のとひたらばなんと答へむこの酒の味

 

   旅と酒の歌人、若山牧水の歌である。なんとも手放しの酒への讃歌。牧水は、昔から好きな歌人だったが、こういう酒の歌は以前はピンとこなかった。うまいと思って飲む酒は、私にはなかったからだろう。この年になって、今さらと思うのだが、ようやくこういう牧水の酒の歌が少しわかるようになった。

 

上撰 白雪 純米酒 1.8L 1本

上撰 白雪 純米酒 1.8L 1本

 

 

 

 短歌を初めて読んだのは中学校の国語の教科書だったろう。教科書にどの歌人の歌が載っていたのかをすべて覚えているわけではないが、最も心惹かれたのは牧水だった。響きのよい、愛唱性に富んだ牧水の歌は、中学生の私を惹きつけてやまなかった。図書館で、歌集をこっそり(!)借りてきて読んだりした。

      

白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ 

幾山河越えさり行かば寂しさの終()てなむ国ぞ今日も旅ゆく 

 

  よく覚えてはいないが、教科書に載っていた歌はこのあたりだったろう。私は、まだ、旅も、旅の寂しさも知らなかったが、いつか歌とともに旅をしている自分を夢想したりした。 

海底に眼のなき魚の棲むといふ眼の無き魚の恋しかりけり

  特にこの歌は好きだった。私は、どこかぼんやりした中学生だったが、その一方自意識が強く耐え難い劣等感に苛まれてもいた。この歌の持つロマンチックなイメージに、自分重ね合わせて自らを慰めていたのかもしれない。

 

 今も、牧水の歌の心地よさは変わらない。

かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな 

ふるさとの尾鈴の山のかなしさよ秋もかすみのたなびきて居り 

山ねむる山のふもとに海ねむるかなしき春の国を旅ゆく

   牧水は、どの歌にも不思議な熱情ととらえがたい寂しさを感じさせる、まさに、天性の歌人であった。

   花の季節になると、つぎのような山桜の連作を思い出す。

うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花

うらうらと照れる光にけぶりあひて咲きしづもれる山ざくら花 

椎の木の木(こ)むらに風の吹きこもりひと本咲ける山ざくら花

 だが、数ある酒の歌を口にすることはあまりなかった。

 今なら、こんな歌も少しはわかるような気がする。  

足音を忍ばせて行けば台所にわが酒の壜は立ちて待ちをる 

酒のめばなみだながるるならはしのそれもひとりの時に限れる

寂しみて生けるいのちのただひとつの道づれとこそ酒をおもふに

白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり

 さて、さしずめ、今の季節だとこんな歌か。

かんがへて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏のゆふぐれ 

 

 牧水は、1885年(明治18年)8月24日、宮崎県東臼杵郡東郷村(現・日向市)の生まれ。生涯を歌と旅と酒に捧げ、1928年(昭和3年)917日、43歳で没した。

 引用は、「若山牧水全集」(雄鶏社)第1巻、第2巻による。

 

若山牧水歌集 (岩波文庫)

若山牧水歌集 (岩波文庫)

 

 

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