読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

日付のない便り

日々のとりとめのない覚書 映画や読書 そして回想

50年前のマンガ喫茶?  「サクラ」になった思い出

 「サクラ」になった思い出 

 私の住んでいるのは、東京の東のはずれで、まあ、下町風(本当の意味での下町とは、多分ほど遠かったのだろうが)の所だった。私が子どもの頃は子どもが溢れている時代だったから、下校後の子どもをターゲットにした商売が随分あった。 紙芝居屋や型屋(カタヤ、と読む。粘土屋とも言った)、爆弾あられや玄米パン。飴細工なども見かけることがあった。大体、公園か学校の校門のところで商売をしていた。どれも大儲けのできるような商売ではなかったが、日銭を稼いでけっこうそれで食っていけたのだろう。

 

黄金バット 第1巻

黄金バット 第1巻

 

 

 

 

 小学校4年生ぐらいの時だ。学校からほど近い橋の上に見慣れない店が開かれていた(ドブ川と化していた用水路にかかっている小さな橋だ)。休みの日だったと思う。友だちの家にでも行く途中だったのか、私は一人でそこを通りかかった。店と言っても、リンゴ箱の上にベニヤ板のようなものを広げて、その上に本をばらまいただけの露店だ。椅子代わりのリンゴ箱が4つ、5つほど置いてあった。本は、大人の本もあったが、ほとんどはマンガだった。板の端の方に、1回5円、と書いた紙が置かれていた。 

 私が立ち止まると、板の向こうに、これもリンゴ箱を椅子にして座っていた小柄な男が話しかけてくる。

 1回5円だよ。どれも読んでも5円だ。全部読んでもいいよ。ただし、席を一回でも離れてたったら、それで終わりだ。  

 マンガは、あまり見たことのない単行本が多かった。5円は、その頃でもあまりに安かった。私は、ポケットからお金を出してリンゴ箱に座った。しばらくすると、他の子どもたちもやってくる。男の口上は同じ。リンゴ箱の椅子が満席になる。またしばらくすると飽きてしまった子が一人立ち、二人立ち、私だけが残る。それから、しばらくすると、また別の子どもたちがやってくる。男が口上を言う。そして、私だけが残る。そんなことが何回か繰り返された。  

 2時間ぐらいたったろうか、何組目かの子どもたちが来たときだった。男は、ひととおり口上をのべたあと、不意に私を指さした。

 見てごらんよ、この子は偉いよ。最初っからずっと座りっぱなしだ。もう、随分たくさん読んだよ。こうじゃなくちゃいけない。こういう子を見習わなくちゃだめだ。

 集まった子どもたちが、一斉に私を見る。

 私は、その子たちが座ったあとに、すぐに席をたった。なんだか、いたたまれなくなった。

 あれ、遠慮することはないよ、もっといていんだよ。えっ、帰るのか、ありがとうね。 私は、あいまいに笑って、逃げるように家に帰った。

 「サクラ」になった思い出である。

 この本屋(?)は、そのあとも2、3回来たが、さすがに長続きのする商売ではなかったようで、そのあと見たことは一度もない。

 まさにマンガのような話だが、これはうんといい方で、子ども相手の商売には、今思えば詐欺まがいのようなものまで含めてけっこう悪質なものもたくさんあった。そういうのに、引っかかっては「痛い思い」をして、少しずつ「世間」みたいなものを学んでいったのだと思う。

 なかなか「痛い思い」をできない、あるいはさせてもらえない、今の子どもたちは、ある時期、ある年齢になって、突然のように「世間」が目の前に現れるので、往々にして適応できないのではないか。

 体験が大事だ、子どもたちにもっと体験を積ませなくてはいけないという声はよく聞くが、どんな体験が想定されているのだろう。

 素晴らしい体験ばかりでは、人は育たない。「負」の体験も「痛い思い」をすることも、もっと大切にされてよいのだが。

 

 

 

世界一の紙芝居屋ヤッサンの教え

世界一の紙芝居屋ヤッサンの教え

 

 

 

 

kssa8008.hatenablog.com

 

 

kssa8008.hatenablog.com

 

追記

 マンガは、今思えば、そのころ衰退してきた貸本マンガが流れてきたのではないかと思う。知っているマンガもあったが、大部分は、私が普段から読んでいた『漫画王』や『少年』のような月刊雑誌や『週刊少年サンデー』『週刊少年マガジン』に掲載されていたものではなかった。