日付のない便り

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『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』  ?

『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』

 何か、どこかで見たことがあるようなそれでいてあまり現実味のない登場人物が、どうもよくわからないままに破滅に向かって絶望的な旅をするロードムービー。格差社会を生きる若者のやり場のない怒りや衝動、閉塞感を描きたいのだろうということはなんとなくわかるが、どの登場人物にも共感ができないから、見ていて、えっ、えっ、というような驚きと戸惑いの連続だった。

 

 

 

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 そもそも登場人物の設定がどこか不自然で、この映画のために作られたようにしか受け取れない。施設で育った主人公のケンタ(松田翔太)とジュン(高良健吾)は、ひたすら壁を壊すだけの解体現場で働く日々を送っている。ケンタの兄も以前同じ職場で働いていたが、ユウヤ(新井浩文)を刺して網走の刑務所に入っている。ケンタはユウヤに給料をピンハネされた上に、陰惨ないじめを受けている。

 施設に育ったから最底辺でしか仕事もできなくて、しかもまともな教育を受けていないから足し算もできないと馬鹿にされたり、漢字も読めない、地理もわからない、というのはどうなのか。兄が傷害を起こした職場で働いているというのも首をひねりたくなる(ユウヤに脅されて仕方なかったとしても)。それでいて、「世の中には二種類の人がいる。一つは人生を自分で選べる人。もう一つは選べない人。俺たちは選べない人」なんていうセリフが出てくる。そんなことがわかっているなら、もっといくらでもやりようがあるだろうに、と思わざるを得ない。これって、選べないのではなく、選ばないのではないかとイライラしてくる。 

 カヨちゃん(安藤サクラ)の、愛されたい願望もわかるようでわからない。ケンタとジュンよりはわかりやすいキャラクターだが、それでも何が彼女に渇きをもたらしているのかが見えてこない。

 ストーリーもご都合主義で、どうしてフェリーでカヨちゃんに再会できるのかよくわからない(伏線を見逃したのか?)。ユウヤが網走までやってくるのも解せない。結末は、どうにも不可解でどうしてそうなるのか理解しがたい。

 焦燥も怒りも絶望もここでは空回りしているように思える。せっかく力のある俳優をそろえているのに、残念な作品。

《監督》大森立嗣  2010年公開作品

 

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