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白鳥の弔辞を読む  「白鳥随筆」正宗白鳥 講談社文芸文庫

 講談社文芸文庫の「白鳥随筆」をポツポツと読んでいる。巻末に著作目録と年譜が付いているのだが、正宗白鳥は83歳で昭和37年10月に亡くなっている。この本には、同年に発表された文章が3編載せられており、この作家が死の直前まで現役であったことがわかる。3編のうち1編は同じ年に数ヶ月早く亡くなった10歳年下の室生犀星への弔辞である。この弔辞が、白鳥らしくなかなか面白い。犀星と自分の作品を比較して弔辞としているのである。

 

白鳥随筆 (講談社文芸文庫)

白鳥随筆 (講談社文芸文庫)

 

 

 

 犀星君は無論詩人である。生まれながら詩を欠いているような私の窺い知らない純粋な詩人であるらしい。氏は自分の好みの庭を造るとか、さまざまな陶器を玩賞することに心根を労していたらしい。そういう芸術境地が氏の小説その他の作品に漂っているのである。私の作品にはどこを捜しても、そういう芸術心境が出現していないようである。私の住宅に庭と称される物があっても、それは荒れ地に、樹木雑草が出鱈目に植っているだけである。私の文学もその通りであろう。こんなものが芸術かと室生君には感ぜられそうである。庭や陶器などは別として、君の小説を観ると、女性に関する関心が丹念に深さを進めていることが、私にも感ぜられるのである。ねばり強い事一通りではなさそうである。私はそれ等の点から新たに犀星君の作品検討を試みようかと、普通一般の宗教形式に由らない追悼の儀式に坐りながら思いを凝らした。

 

 

 こうやって、写してみると、なんとも不思議な文章である。自分に関わる部分は、とりようによっては謙遜とも卑下とも、あるいは自負ともとれるが、文化勲章受章者である83歳の老作家は思うままを直截に書いているだけなのであろう。犀星という作家の死に際して、その才能、実績を充分に認めながら、自分とはあまりに違う資質、文学、これまでの人生のあり方に思いを馳せたのだろう。この時、白鳥にとっても死はそれほど遠いものではなかったはずだからだ。自分と比べることで、弔辞としたのであろう。文章は以下のように続く。

 

室生君とは軽井沢に於いて親しくしていたのであった。心に隔てを置かず、世間話文壇話をしていたのであったが、陶器や庭園に関する立ち入った話は一度もしたことがなかった。淡々とした話で終始していたのだが、それだからお互いに気まずい思いをしなかったのであろう。

 

 

 文学的立場、生活や人生のあり方、振り返れば、同じ文学者として、芸術家としてありながら、なんと違う道を辿ってきたものであろうか、という小さなつぶやき声が聞こえるような気がする。

 それにしても、83歳にして新たに作品検討を試みようというのも、なんとも白鳥らしい。

 弔辞はさらに、こんな文章で締められている。

 

 私は君よりも老いている。今後いつまで君の面影を私の心に留める事であろう?

 

  白鳥は、この年の10月に膵臓癌によって亡くなっている。

 

 白鳥は、ここ10年ほど、私にとって最も気になる作家の一人なのだが、手軽に読める文庫本が手に入るのはありがたい。若い頃に必要に迫られて(私は文学部だったので)、幾つかの代表的な小説や「自然主義盛衰史」などの評論、小林秀雄との論争などは読んでいたが、あまり良い読者とはいえなかった。小説とも随想ともジャンルを限るの難しい「リー兄さん」や「今年の秋」などを読んだのは、もう中年を過ぎてからだ。

 この歳になって、改めて読んでみると、どれを読んでも無類に面白い。気乗りのしなさそうな、素っ気ない書きぶりで、どこまでも卒直に語られる随筆は、どれを読んでも、なるほど白鳥だな、と納得する。

 ちなみに、この本に収録されている昭和37年発表の残り2編の題名は「知人あれど友人なし」「滅びゆくもの」である。なんとも興味を惹かれる題名ではないか。

「白鳥随筆」正宗白鳥 坪内祐三選  講談社学芸文庫

 「弔辞(室生犀星)」昭和37年5月「心」 より引用した。

 

※ 昭和37年というと、私は8歳だった。それを思うと、わずかだが同時代を過ごした事になる。明治大正昭和の三代にわたって第一線の作家であった白鳥のなんと息の長い事か。不思議な気分になるのである。

 

白鳥評論 (講談社文芸文庫)

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