日付のない便り

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なぜ、今、「人間失格」なのか  ビックコミックオリジナルで太宰治「人間失格」コミック版の連載が始まったが、

 

 以前は、何種類も買い求めていたマンガ雑誌(青年コミック誌といった方がよいのか)もすっかりご無沙汰になっているが、小学館の「ビックコミックオリジナル」だけは、今も定期的に購読している(これはもちろん理由があるのだが、それはまた別の機会に)。

 そのオリジナルが、3号続けて新たな作品の連載を始めた。

9号(4月20日号) 
「昭和天皇物語」 能條純一
原作/半藤一利(『昭和史』平凡社刊) 脚本/永福一成 監修/志波秀宇
10号(5月10日号)※現在の最新号
「人間失格」 伊藤潤二   原作/太宰治  
11号(6月5日号)※5月20日発売
「赤狩り」山本おさむ

 

ビッグコミックオリジナル 2017年9号(2017年4月20日発売) [雑誌]

ビッグコミックオリジナル 2017年9号(2017年4月20日発売) [雑誌]

  • 作者: ビッグコミックオリジナル編集部,能條純一,半藤一利,永福一成,志波秀宇,やまさき十三,北見けんいち,弘兼憲史,坂田信弘,かざま鋭二,安倍夜郎,井浦秀夫,星野泰視,アガサ・クリスティー,ジョージ秋山,野村知紗,松本大洋,黒鉄ヒロシ,永松潔,高橋遠州,テリー山本,市田実,鈴木良雄,福本伸行,業田良家,あまやゆうき,稲井雄人,石原まこちん,曽根富美子
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2017/04/20
  • メディア: Kindle版
  • この商品を含むブログを見る
 

 

 

 以前は、どんなコミックでも読んでいたが、最近は絵(画風?)が読めるか読めないかが最大の基準になっていて、肌に合わない(上手い、下手ではない)絵の作品は読む気力が持続しない。

 そういう点からすると、「昭和天皇物語」は「月下の棋士」「哭きの竜」の能條純一、「赤狩り」は「遥かなる甲子園」の山本おさむ、だから安心して読めるのだが、「人間失格」は、「富江」シリーズの伊藤潤二。ホラーは苦手で、ヒットメーカーなのだろうが、私にとっては初めての絵で、少し驚いた。

 連載が始まったばかりで、作品についてどうこうはないのだが、なぜこの3作品なのだろうと考えてしまった。

「昭和天皇物語」は天皇退位や憲法改正の論議や、あるいは険悪な東アジア情勢等を踏まえて、歴史と現在を問う、というようなところか。「赤狩り」はマッカーシズムの吹き荒れた1940年代から50年代のハリウッドを舞台にした作品らしい。次号予告に、ドルトン・トランポ、ジョン・エドガー・フーバー、オードリー・ヘップバーンの姿が描かれている。これも、当然、現在の共謀罪や言論の自由の議論が土台にあるのだろう。政治にも社会情勢にも疎い私でも、このあたりはなんとなく思い当たる。

 で、「人間失格」はなぜなのだろう。なぜ、今、太宰治の「人間失格」なのか。それも、ホラーテイストたっぷりな「人間失格」でなくてはいけないのか。

 

 

斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇 (文春文庫)

斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇 (文春文庫)

 

 

 太宰治をそれなりに熱心に読んだのは、十代の頃だった。「走れメロス」は今でも中学校の教科書に載っているが、私の頃も載っていたのではないかと思う。高校の教科書には「富嶽百景」が載っていた。「富士には月見草がよく似合う」という記述と一緒に覚えている。「人間失格」は中学2年の夏休みの読書感想文の課題だった(これは、以前記事で取り扱った)。「斜陽」「ヴィヨンの妻」「桜桃」「津軽」と読んだ作品の題名が今でも思い浮かぶ。だが、二十代以降は、必要に迫られない限り、太宰治を手にすることはなかった。読書の幅が広がるにつれて、太宰の作品は、どこか物足りなかったり、底が浅いような気がしてならなかった。未完の作家という印象は、今も変わらない。そういう意味で言えば、太宰作品は確かに永遠の青春の書と言えるかもしれない。

 

 ビックコミックオリジナルの読者の年齢層はどのくらいなのだろうか。「釣りバカ日誌」「浮浪雲」「三丁目の夕日」のような長期連載の作品も多い。新しい読者も多くいるだろうが、私のような60代を超えるような読者も結構多いのではないか。その辺の事情には詳しくないので、なんとも言えないが、50代、60代で「人間失格」を、待ってましたと拍手する人がどのくらいいるのだろうか。それとも、かえって新鮮に感じて、好意的に迎えられるのだろうか。

 

 今読んでいる「白鳥評論」に、「太宰治小論」があるのに気づいて、慌てて読んで見た。昭和28年雑誌「文芸」に掲載。当時、正宗白鳥は74歳。この稀代の批評家は、太宰に対してなかなか手厳しい。

 

 

太宰の作品には、かつて予期していたほどの妙味は感ぜられなかった。

 小説には人間が人間を書いているのだから、同じ人間の一人である私は、読みながら共鳴を感ずるところが少なからずある筈で、太宰の作品にも私自身の影のちらつくのを見ることはある。しかし、私が彼の作品に引き摺られるところは案外少なかった。私を天上に引き上げるところも奈落に引き落とすところもなかった。無論私を陶酔させるところも、戦慄させるところもなかった。

 

 

 それでも、太宰の作品では「人間失格」は一番買っていて、次のように理解を示している。

 

 「人間失格」には、人間に対する恐怖心が出ているのが、私には面白かった。私の心にそういう恐怖性の潜在しているのに気づいて、理屈なしに共鳴を覚えた。この作中の主人物は、幼少の時から人に媚び人の歓心を得るため、道化た真似をしたりするのが、天性の恐怖心に基づくのである。私は幼少の頃そういう態度は執らないで、むしろ反抗的態度を持していたのであったが、その反抗的態度の底には人間恐怖が渦巻いていたと云ってもいい。人に突っかかる態度も、道化た真似して媚びるのも、恐怖心の現れが、唯形を異にしているに止まるのである。

 

 

 だが、その作品と生き方をそのままうべなうことはしない。人間失格、といいながら徹底しない、太宰の持っている根源的な甘さを、白鳥らしい皮肉な物言いで指摘している

 

 彼は志賀直哉に対して我武者羅に毒舌を弄している。狂犬の如く噛みついている。川端康成に対しても悪声を放っている。自分の作品を非難された異が原因であるのである。これも恐怖心の変態的あらわれではあるまいか。内村の信仰に恐れ入った彼が、志賀に対する世間の讃辞である崇高とか、節操とか、潔癖とかを嘲笑っているのは、矛盾しているようであるが、これは太宰の人間失格がまだ徹底せず、崇高節操潔癖などにまだ未練を残しているためである。内村の信仰も、志賀の崇高も、人間失格者の目にはどうでもいいので恐れ入る気にも嘲る気にもなれない訳である。

 

 

 こういう評を読んでみると、太宰治のイメージが薄っぺらなものに思えてくる。

 私は、太宰治と「人間失格」がどのような評価を受けているのか、研究者ではないのでわからない。だが、その文学も人生も未完であるがゆえに、常に熱烈な愛読者がいるのは確かなことであろう。私は、未完であることを厭厭って、かなりはやくに太宰を離れたが、50代、60代になっても、どっぷりと浸かっている愛読者が多いのであろうか。

 

 ビックコミックオリジナルは、同種の雑誌では老舗の一つであろう。残り二つの新連載も気になるが、「人間失格」の知名度は圧倒的な高いはずだ。オリジナルは、どういう読者を対象に、どんな狙いから、今回の戦略を練ったのか。誰か、種明かししてくれれば良いのだが。

 

 

白鳥評論 (講談社文芸文庫)

白鳥評論 (講談社文芸文庫)

 

 

 

※GWなのに、いろいろ忙しい。昨日は妻と、銀座シックスへ。あまりの混雑に買い物ができず(?)、結局松屋のデパ地下で食料品を購入。帰りがけに、群馬県のアンテナショップ「ぐんまちゃん家」の2階で、コーヒーとご当地サブレ(たまたんサブレ 群馬県玉村町)。

 明日は、朝方父の馬券を買いに錦糸町に。昼食後に、妻と一緒にて上野に絵を見に行く予定。やはり、結構忙しい。

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ぐんまちゃん家

 

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たまたん

 

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