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成瀬巳喜男「あらくれ」を観る  「あるがまま」の世界はどう描かれたか

 

 高峰秀子が演じるお島は、現在も含めて、日本映画にはまず見当たらないヒロインだろう。お島が、勝気で、行動的で、時に亭主に手が出るほど男勝りだから、ということではない。その無節操、無道徳ぶりが際立っているからである。そういう意味で、このヒロイン像は空前絶後といえるだろう(これは非難しているのではない)。

 原作は大正期4年に読売新聞に連載された徳田秋聲の長編小説「あらくれ」。原作とは違う面も多いが、成瀬は原作をよく咀嚼しているのだろう。お島の浮き沈み多い波乱の半生を、成瀬巳喜男は、淡々と、非情に描いていく。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8c/Arakure.jpg/200px-Arakure.jpg

 

 

 時代は大正期。お島(高峰秀子)は農家の養女として育てられたが、養家の息子との結婚を嫌がり出奔。人の勧めで東京の缶詰問屋の嫁に入るが、夫(上原謙)とも折り合いが悪くなり離婚。雪国の旅館に女中として奉公するうちに、若主人(森雅之)とわりない仲になるが、引き離され上京。洋服仕立て屋で仕事をするうちに、そこの職人(加東大介)と一緒に独立。そこそこの成功を収めるが、夫の浮気などもあって、再び店の職人(仲代達矢)と共に再び独立しようと決意するところで映画は終わる。

 一人の女性の流転の半生というと、運命や時代に翻弄される薄幸のヒロイン像を思い浮かべたくなるが、お島にはおよそ薄幸というような言葉は似合わない。次々と男と交渉を重ねていくわけだが、悪女というのも、奔放というのもあてはまらない。お島は、その時々に懸命なだけだ。なんとか人の世話にならないで生きていきたい、すこしでもいい生活をしたいともがく結果がそういうことになる。

 彼女にも、もちろん恋愛感情や愛情はあるが、生活が成り立たなければ、常に打算が優先する。結果だけを見れば、無節操・無道徳に男を利用し渡り歩いているようだが、彼女は特に後悔も反省もしない。そうしなければ生きていけないからそうしただけの話だからだ。お島の生きている世界では、実は無節操・無道徳が当然であり、誰もが大なり小なり打算の中で生きているからだ。だから、彼女は、だれからも非難されない。

 

 無節操・無道徳なのは、何もお島だけではない。缶詰問屋の夫(上原謙)は、今度の嫁は丈夫だろう、と聞かれ前の嫁は身体が弱くて往生したのでと笑いながら話す。お島の垢抜けない着物の選択や、締まりのない着こなしに一々注文をつけ、妊娠したお島の子どもが自分の子ではないのでは疑う。その上、昔馴染みの人妻に秋波を送る。

 浜屋の若主人(森雅之)は、妻が肺病で療養中。商売の才はなく、母に牛耳られている。いつも静かに書物を読んでいるいわば田舎のインテリなのだが、おずおずとだが自分からお島と関係を持つ。公然の関係になっても母の女主人は特に叱責するでもなく、世間体があるからと、更に山奥の温泉宿にお島を移す。そんなことはよくあるからだ(女主人にも愛人がいる)。若主人は、母に逆らえない。ぐずぐずと未練を残すが妻も家も捨てられない。

 お島は、実家の父に引き戻され、再び上京して洋服仕立て屋で働き始めるが、腕のある職人(加東大介)を誘って自立を図る。

「あんたは、あたしがつきあった男の中で一番男ぶりが悪いわ」これが、お島が職人に言うセリフだ。およそ若い男女にありそうな甘い関係はない。

 最初は苦労するが、お島の才覚もあって、店はそこそこ繁盛する。夫は商売に飽きて、商売第一な、お島にも辟易して、妾をこしらえる。お島はお島で、上京した浜屋の若主人と逢引をしたりする。

 誰もが無軌道で無道徳。ここでは高邁な理想とか浮き立つような夢とかが語られることはない。現実の生活を、自分の身の上を、少しでもよくするために懸命にはなるが、一応の格好がつくとそこで満足して、また下り道に向かう。

 お島は、次々と男を変えていくが、普通の恋愛映画などと比べると、どこか根本的に情愛に欠けた女に思えてくる。だが、現実の世界では実はこれが普通で、必要以上にロマンチックでは生きられない。

 成瀬巳喜男は、お島に特別な感情移入をしない。善悪の判断もしない。非難も称賛もしない。淡々と、時に冷徹にお島とお島を取り巻く「あるがまま」の生活、「あるがまま」の世界を描いていく。それはまた、徳田秋聲の描いた小説の世界だからである。

 この映画を見ていると、今の私たちの生活も世界も、実は少しも変わっておらず、周りには多くのお島が、懸命に、だが無自覚に生き続けているように思えてくる。

 この映画、もっととりあげられてもよい秀作なのだが、やっぱり地味すぎるのか。それは、原作が地味だということも影響しているのかもしれない。

 

あらくれ (講談社文芸文庫)

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 徳田秋聲は明治以降最大の作家の一人であるが、最も語られることの少ない作家でもある。自然主義文学の大家とか、私小説の極北とか、いろいろ言われるし、たしかに「あらくれ」のほかにも「黴」「足跡」「縮図」などは文学年表にも載っているだろうが、読んでいる人は少ないだろう。秋聲は多作な作家で(全42巻の全集が刊行されている)、実は多くの長編小説を書いているのだが、もともとストーリーの起伏が乏しいため映画向きではないのだと思う。それでも、随分映画や舞台になった作品もあるようだが(不勉強で調べていない)、成瀬巳喜男による秋聲の映画化作品は「あらくれ」だけのようだ。だが、「浮雲」「めし」などの林芙美子作品の映画化や「流れる」(幸田文 原作)などを見ると、成瀬が秋聲の作品をとりあげた必然性のようなものがあるように思える。

 

1957年公開 監督 成瀬巳喜男 脚本 水木洋子

 

※ 高峰秀子は好演。どこか情に乏しく、男勝り。時には亭主にも亭主の妾にかぶりついていく「あらくれ」た女という設定は意外と柄にあっているのか。

※ この映画を見て、本棚から「あらくれ」を引っ張り出したのだが、秋聲は歳を取ってから読んでも相変わらずなかなか手強い。こちらは感想を書くのにも手がかかりそうだ。

※ 映画に出てくる大正時代の風俗描写もなかなか面白い。最初の頃のお島の着物姿は確かにだらしなくて、チャラチャラした感じだがそれが次第に垢抜けていく様子が映像で見事に示されていく。雪国のモンペ、藁ぐつで 移動する芸者だとか、ドレスのような洋服姿で、自転車にまたがり商売のために街中を駆け巡るお島の姿なども頷かせるものがある。

※ 浜屋の女主人とそのパトロンが花札に興じているシーンがあるが、秋聲 の小説には実に花札をする場面がけっこうあって、男も女も花札をよくやる。花札が日常的に行われている様子がこの映画で見るとよくわかる。

 

 

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