日付のない便り

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「聲の形」を観る  面白いのだが……。私は了見が狭いのかもしれない

 

 TSUTAYAの新作棚で見つけて思わず手が出た。昨年、大ヒットしたということは知っていた。それ以外の事前知識はなし。まっさらな状態で見始めた。定期テストが終わって暇ができたせいか、たまたま息子(中三)も一緒に見た。映像は新鮮。自然描写なども美しい。テンポの良い展開、丁寧な演出で還暦過ぎのおじさんにも飽きさせない。見終わったあと、息子がけっこういい映画だったね、という。うん、面白かった、と答えたがちょっと口ごもる。いや、面白かったのだ。良い映画だと私も思った。でも、見終わってみると、どうにも物足りなさが残る。はて、なぜなんだろう。

 

映画『聲の形』Blu-ray 通常版

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 ヒロインは聴覚障害を持つ転校生の少女・硝子。周囲から次第に手酷いいじめを受ける。聴覚障害の子に意地悪をする、悪口を言う、仲間外れにする、それは誰もが悪いことだと自覚できる。誰もが後ろめたい。わかっていて止まらない。次第にエスカレートしていく。勘違いや誤解を誰もがうまく訂正できないまま事態は悪化していく。善意も悪意も伝わらないもどかしさを子どもたちはコントロールできない。保身、偽善、傍観。大人と同様に子どもも我が身をかばって、ガードをし、後ろを向く。

 このあたりの心理は、よく描かれていると思う。この映画が、「伝えること、あるいは伝え合うということの困難さ」をテーマにしていることも、なんとなくわかる。

 ただ、リアルかといえば、それはどうか。ここには、大人が出てこない。先生も、双方の母親はいるが、誰もほつれた糸をほぐそうとしない。いや、実際には大人が出てきてますますもつれることだって少なくない。だが、ここでは、ほつれた時には、切り取るか取り替えればことがすむ、というような収拾の仕方しか出てこない。これはあまり現実的ではない。いじめは、必ず大人も巻き込んで回転していく。子どもだけで回し続けることも、止めておくこともできることではない。そういう意味では、どこか表面的に感じられる。

 それに、転校してくるまでの硝子のことが、全く語られないので、硝子の心のうちがうまく理解できない。良いことも辛いことも経験してきているはずなのだが、それが語られないので、よく考えると腑に落ちないことが結構ある。ただ、展開が早いので、深くとらわれているまもなく、先に連れて行かれる。原作では、その辺りどうなっているのだろうか。

 

 心を閉ざした将也には、「三つ目がとおる」の写楽の額にあるような✖️印の絆創膏が、誰の顔にも貼り付いているように見える。だから、周りにいるには記号のようなもので、将也は常にひとりぼっちだ。少しでもコミニュケーションがとれると、自然に剥がれ、壊れるとまた顔を覆う。原作にあるのかどうかわからないが、実に秀逸な表現でこういうのはアニメならではなのだろう。

 右から左へ、左から右へと度々繰り返される自転車の通学路の風景や橋の上から眺める川面、水の中の様子などは、幾重にも伏線になっているとともに、なかなか繊細で美しい。

 

聲の形(1) (週刊少年マガジンコミックス)

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  高校生になって、再会した硝子と将也の物語は、硝子の妹結弦や将也の新しい友人永束、そして二人のかつてのクラスメート、植野や佐原、川井などが次々に登場して群像劇のような展開になる。互いの感情のぶつかり合い、エゴ、逃避、妥協、失望、悔恨、など様々な感情がぶつかり合い、互いに「伝える」ことの難しさと大切さに気づいていく。まあ、まとめるとこんな風になるが、登場人物もなかなか多彩で、ストーリーも起伏があって一筋縄ではいかない面白さがある。

 アニメが良いのは、登場人物がデフォルメされているので、出てきただけでなんとなくキャラクターが想像できるということかもしれない。一際マンガチックな永束や、背が高くなった佐原などは原作では、もっと出番が多いのかと思いながら見ていた。

 

 後半の将也や硝子を中心とした、感情の動きやそれがもたらす様々な屈折、軋轢、衝突とその結末は、青春映画らしい爽やかさに溢れていて、確かに息子の言うように良い映画だと思ったのだが……。

 

 見終わってしばらく経って気づいたのだが、私には硝子や将也の顔がうまく思い浮かばないのだ。顔が、というより表情がと言った方が良いのだろうか。実写であれば、良い映画ならば、あの場面の誰それの泣き顔が、あの晴れ晴れとした笑顔が、と言う具合にその映像が頭に焼きついて、場合によっては一生忘れないなどと思い込んだりするのだが、アニメにはどうもそれがない。場面の展開や細部は覚えていても、実写の女優や男優のような忘れがたい表情は期待できないのか。実際の生活を描いたシリアスなテーマのアニメ映画では、どうもその辺が物足りない。そんなことを考えるのは、映画を見る私の了見が狭いからだろうか。

 

※後半も、登場する大人は大人らしい動きはしない。まあ、その方が物語は純粋化してわかりやすいのだろうが、それにしても、ではある。これも、物足りなさの一つなのだろう。

 

※TSUTAYAに一人で行った時にアニメを借りたのは初めてのことだ。息子と一緒に行ったり(中学3年になった最近はなくなった)、息子に頼まれたりして借りたのはあるが。何ヶ月か前に家内と二人で「この世界の片隅で」を劇場に見に行った。その時、観客の年齢層の高さに驚かされた。その時以来、ちょっとアニメももう少し見てみようという気持ちになっているのかもしれない。

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