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貧困の基準  鈴木大介「最貧困女子」(幻冬舎新書)を読む

 

 先週、テレビドラマ「CRISIS 公安機動捜査隊特捜班 」を見ていて、強烈な違和感を覚えたシーンがあった。捜査官が若いテロリストに聴取する場面だ。その青年(いや、少年か)、取り調べをする捜査官に年収を問いただす。捜査官は手取りで700万円ぐらいと答える。すると、青年は、やっぱり公務員はいいですね、うちの親父は450万円です、母のパートが100万円、家族一緒に住むのが大切ということで、家を建てたから、ローンが25年残っている。両親と大学進学の話をすると、奨学金か教育ローンの話になる。このまま大学に行っても、アルバイトに追われて自分のやりたいことはできない。世の中には親がかりでそんな苦労をすることなく、のうのうと大学生活をエンジョイしている奴がいる。正確ではないが、こんな内容だ。捜査官はそれにストレートに答えない。盗人にも三分の理か、というつぶやきは半ば以上、テロリストの理屈を認めているように取れた。

 両親合わせて550万の年収(手取りだと思う)、ローンがあるとはいえ、持ち家がある。奨学金や教育ローンを使えば、苦学かも知れないが、大学に行くことができる。もちろんなんの苦労もしないで、余裕を持って大学に進むことができる者と比べれば、確かに格差はある。

 だが、これが将来に絶望しテロしかないと思いつめるような格差であり、貧困なのだろうか。ドラマの登場人物だとはいえ、この青年の貧困の基準はなんなのだろうか。今の現実は本当に、このドラマのようであるのか。私には、どうにも納得がいかなかった。

 

最貧困女子 (幻冬舎新書)

最貧困女子 (幻冬舎新書)

 

 

 

 そんな時、2014年に出版された「最貧困女子」(幻冬社新書)を読み始めた。著者はコミック「ギャングース」の作者鈴木大介。 

 新書だが、読むのに手こずった。胸が痛むようなエピソードの連続にしばしばページをくくる指先が滞った。本書には貧困女子、マイルドヤンキー、プア充女子、とこの辺りの情報に疎い私には耳慣れない言葉が次々と出てくる。表題になっている「最貧困女子」とは、三つの縁をなくし、何らかの障害を抱え、セックスワーク(売春や性風俗)で日銭を稼ぐしかない女子のことだ。シングルマザーであったり、介護の必要のある親を抱えていたり、家出少女であったり、ケースは様々だが、どれもが地獄の底を這いずり回っているようなものだ(本人に自覚があるかどうかは別として)。

 

 筆者は言う。貧困とは何か。低所得というだけでは貧困ではない。人は低所得に加えて「三つの無縁」「三つの障害」から貧困に陥る。以下、ちょっと長いが、本文から引用。

 

 三つの無縁とは「家族の無縁・地域の無縁・制度の無縁」だ。家族の無縁とは、困ったときに支援してくれる家族・親類がいないこと。親も貧困であれば頼る術はそもそもないし、貧困家庭に育つことは教育というその後の所得を保証する(最近は保証しないが)自己資産を得られないことにも繋がる。地域の無縁とは友達の無縁にも置き換えられるが、苦しいときに相談したり助力を求められる友人がいないこと。制度の無縁とは、そもそも生活保護の捕捉率が非常に低いことに代表されるように、社会保障制度の不整備・認知度の低さ・実用性の低さのこと、貧困とはひとつの条件で陥るものではないから、これらがオーバーラップして人は貧困に陥るのだと考えている。

 一方で三つの障害については「精神障害・発達障害・知的障害」と考える。これを挙げることは差別論にも繋がりかねないので慎重を要するが、これらの障害は「三つの無縁」の原因ともなっている、無視できない問題だ。鬱病や統合失調症など精神障害は安定した就業を不可能にするばかりか、ケアの難しさから三つの縁を遠ざける。ADHDや自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群等)等の発達障害もまた、理解されづらいパーソナリティが精神障害と同じような「支援への斥力」となる。知的障害は法区分では精神障害に入るらしいが、療育手帳取得に至らないような軽度・ボーダーラインのものを含め、やはり安定した職や支援者に繋がらない要因になる。

 

 

 貧乏と貧困には、明確な違いがあるのだという。こんな記述もある。

 

 随分と前のことになるが、年越し派遣村などを率いた湯浅誠さんが「貧困と貧乏は違う」と発言としていたことがある。貧乏とは、単に低所得であること。低所得であっても、家族や地域との関連性が良好で、助け合いつつワイワイやっていれば、決して不幸せではない。一方で貧困とは、低所得は当然のこととして、家族・地域・友人などあらゆる人間関係を失い、もう一歩も踏み出せないほど精神的に困窮している状態。貧乏で幸せな人間はいても、貧困で幸せな人はいない。貧乏と貧困は別ものである。そんな言葉だったと思う。

 

 

 鈴木氏は、自分は一介の取材記者に過ぎないが、と謙虚だが、説得力がある見事な分析だと思う。

 

 目も当てられないような貧困の地獄な中でもがいている女性、そして未成年の少女たちがいる。彼女たちは、セックスワーク(売春や性風俗産業)の中に埋没し、「可視化されていない」。彼女らを可視化することが本書の目的だという。

  

 取材は困難を極める。最貧困女子を取り巻く状況は想像を超えるものがある。細かくは本書にじかにあたっていただきたいが、ここでは、第2章の小見出しを写してみる。

 

第2章 貧困女子と最貧困女子の違い

・「最貧困女子」は、セックスワークの底にいる 

・清原加奈さん(29歳)の場合

・「二度と電話をしてくれるな」という実母

・「整形とダイエットしてから出直せ」と言われてトイレで手首を切った

・最貧困女子が一番恐れることとは?

・こんな私でも一緒に居れれば施設よりマシ

・「縄師」のもとにふたりの子供共々身を寄せる

・凄まじい貧困の「三つの無縁と三つの障害」

・貧困女子と最貧困女子の違いは?

 

 最貧困女子の実態と彼女たちを取り込んでいくセックスワークの構造が丁寧な取材で詳細に記述されていく。そして、取材をしながら鈴木氏はなんとか彼女たちを救い出そうともがく。だが……。

 

 あとがきには、著者の悲痛な叫びが直裁に書かれている。

 

 本音を言えばルポライターとしての僕の心情は、もう限界だ

 

何も与えられず、何にも恵まれず、孤独と苦しさだけを抱えた彼女らは、社会からゴミ屑を見るような視線を投げかけられる。

 もう、こんな残酷には耐えられない。

 

 

 鈴木氏は、本書で多くの提言をしている。それがどのくらい実現され、緩和されているのか、私は勉強不足でわからないが、貧困も格差も、確かな事実と考察に基づいた視点から取り上げる必要があるのではないか、と深く考えさせられた。

 ドラマの青年の基準で言えば、私の子供の頃は、貧乏そのものだったが私は自分の家が特段貧乏だと感じたことはなかった。少なくとも親が最低限の衣食住には責任を持っていたし、三つの縁は今より濃密であったからであろう。貧乏はスタンダードだったが、貧困がこれほど、安易に語られることはなかったように思う。

 

※私は長く学校に勤めていたので、振り返ると忸怩たる思いがある。私の若い頃の学校は、今よりも生徒の家庭に深く踏み込むことが多かった。それは弊害もあったのだろうが、今よりも間違いなく生徒を救えていた、と思う。家庭訪問をやらない学校も増えた。トラブルを避けるために、児童生徒の家庭にはあまり関わらない学校が増えた。何か事件が起こるまで、学校に貧困が見えなくなっている。学校だけではもう無理で、専門家や行政の力を合わせて、子供のうちから、貧困のタネを積まなければいけないのはわかっているのだが。私の身体には、当時のうまくいかなかったことのあれこれが澱のように溜まっている。

 

 

ギャングース(1) (モーニングコミックス)

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