日付のない便り

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一気に読んだのは読んだのだが 彩瀬まる「あのひとは蜘蛛を潰せない」(新潮文庫)を読む 

 

 題名に惹かれて読み始めた。

 主人公の梨枝は28歳の独身女性。ドラッグストアの店長で、両親は幼い頃に離婚したため母と二人暮らし。地味で、真面目で、ある意味世間知らずで、男性経験もないし、恋人もいない。その梨枝に年下の恋人ができて、紆余曲折を経て、彼女が自立し、成長していくというストーリーで、大雑把にいえば、ごく普通の女の子(というには年齢が高いが)の恋愛物語であり、成長物語なのだが、蜘蛛を潰せない中年のパート男性、幼馴染で義理の姉のかまきり雪ちゃん、鎮痛剤依存症のバファリン女、そしてどこかに「ヒヤリ 」としたものを感じさせる8歳年下の恋人三葉くん、と登場人物が多彩で、筋立てに企みがあり、繊細で端正な文章は、なかなか読ませる。というわけで、一気に読んだのは読んだのだが、読み終わってみると、何か物足りない。

 

あのひとは蜘蛛を潰せない (新潮文庫)

あのひとは蜘蛛を潰せない (新潮文庫)

 

 

 

 主人公をはじめとして、登場人物のそれぞれが複雑な過去を背負っていたりやりきれないような環境を抱えていたりするのだが、実はこの小説には無道徳な人間は出てこない。表面は歪つに見えても、内実は登場人物は皆驚くほど倫理的といってもよい。それが、この小説を後味の良いものにしているのだが、一方で、現実から少し離れた、どこか薄っぺらい絵空事に見えたりする。

 どの登場人物も一癖あるし、それぞれが面倒くさいのだが、結局はもがきながらも前を向こうとしているし、それを自覚している。

 だが、「世間」では、前も後ろも関係なく、その場限りでの論理や感覚で生きている無節操な人間はたくさんいるし、そういう人間に振り回されたり、悪意に辟易したりすることは、多々あることである。自分はそうではないと思っていても、周りからすれば自分だって、時には無節操そのものに見えているのかもしれない。

 好むと好まざるとにかかわらず、そういう人間や場面に出くわさずに生きていくことはできないことを前提にするなら、物語の形も違ったものになるのかもしれない。

 最後の方に、小さな虫が嫌いで、見つけ次第潰してしまうパート店員が出てくる。読んでいて、ついホッとしたりする。

 

 この作品の物足りなさのもう一つは、次の場面に代表されるような性の取り上げ方だ。以下引用。

 

「え、はじめてなんだ」

 なにか失敗のもとになるかもと思って打ち明けると、三葉くんは数秒考えてからへらりと笑い、「俺も、はじめての人とやるのははじめてだ。痛かったらいってね」とまぜ返すようなことを言った。実際、痛かった。痛かったし、よくわからなかた。男の人の性器はそのものよりも、コンドームを着けた姿の方が生々しくて直視できなかた。ゴムの表面が、オレンジ色の豆電球の下でぬらぬらと光っていた。途中でどうしても我慢できずに抜いてもらい、二回トイレに行った。裸で冷たい便座に座るのは心細かった。私が戻ると、三葉くんは毛布を肩に羽織りながら「へたでごめんね」と落ち込んだ様子で言った。

「三葉くんがへたなんじゃなくて、私が慣れてないんだよ。もたついてごめんね」

素っ裸のまましゃがんで、うなだれた小さな頭を撫でる。撫でられながら目を閉じた彼の頬やまつげの形が目に焼きつく。そんな風にして、私の「人に言えない恥ずかしいこと」が一つ消えた。

 

 梨枝と三葉の最初の性交渉の場面なのだがなんともしっくりこない。違和感がある。事実を淡々と、リアルに書いているのだが、どこか即物的で熱が低い。こういう書き方は、もちろん意図的なのだろうが、現実の方がもう少し情緒的ではないかと思えるほど鼻白んでしまうところがある。この後も、あるがままに、さりげなく随所で取り上げられてはいるが、梨枝と三葉の関係を解きほぐしていくキーとして物足りない(いや、キーでないからこういう書き方なのか)。すべて、暗示的に書かれるか、まったく書かないで済ましてしまう方がほうが、私にはしっくりくる気がする、のだが(これは、私が時代についていけてない証左なのかもしれないが)。

 

 くどくど書いたが、実はこの作品、かなり気に入っていて、早速、同じ作者の本を図書館から借りてきたところである。なかなか若い作家、新しい作家に馴染めなくなっている老人にとっては、読みたい作家が増えることは、悪いことではないのは確かなことである。

 

▶︎一年ぶりの記事になります。健康のことなど、色々あって更新できませんでした。はてなブログの扱い方ももすっかり忘れてしまい、戸惑いながらの更新です。ポツポツと更新していければと思っています。