日付のない便り

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「その夜の侍」を観る  堺雅人と山田孝之は熱演だが

 ケーブルテレビで放映されたものを録画して観たのだが、途中、何度も止めて、コーヒーを入れたり、ヨーグルトを食べたり、タバコを吸ったりした。劇場だったら、我慢できずに途中で出口に向かっているはずだ。お金、損したななどと愚痴りながら。 

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  中村(堺雅人)は、妻をひき逃げされて殺されたという現実を受け入れられず、最低限の日常生活を維持しながらも復讐に囚われている中年男。

 木島(山田孝之)は、自分の犯したひき逃げの罪は不運のもたらしたものであって、死んだ者にかけらも責任を感じず、小さな悪事を繰り返しながら、手前勝手にその日暮らしに生きる男。

  木島はもちろん共感できる人間ではない。暴力的、享楽的、支配的で、関わる者、近づく者を、巧妙に取り込んで支配して行く。だが、怪物のような悪党というわけではない。自分に都合の悪いことがあれば、人になすりつけ、保身を図る。よく映画には、憎めない悪党というのが出てくるが、この木島には、そういう要素はない。中村には愛嬌は全くなく、観ていて、ただただ、うっとしい思いが募ってくる、どうしようもない小悪党。

 では、中村に共感できるかといえば、これも難しい。五年経っても、妻が死んだ日に残した留守番電話の妻の声を消せないでいる。いや、毎日その妻の声を繰り返し聴くことが生きる支えになっている。小さな町工場の社長なのだが、割り切ることも、諦めることもできずに、だらだらと日常生活を続けている。木島への復讐には、異常な執着を持っているが、では、破滅する覚悟があるかといえば、その辺りはわからない。再婚の話がきても、煮え切らない態度に終始する。きれいごととわかっていても、きれいごとから抜け出せない。

 いろいろなエピソードが重ねられて、中村が木島を追い詰め、最後は二人の対決になるのだが……。

 実をいうと、この映画の結末も、そこまでに至る二人を取り巻く様々なエピソードも、それぞれ深い意味があるのかもしれないが、私には、さっぱりわからない。どれもこれも、ただ思わせぶりなだけに思えてならない。勿論、何もかもスラスラわかってしまような映画は薄っぺらで、これも困ったもので、よい映画であれば、必ず不可解な場面や謎のセリフがあったりするのだろうが、これだけわからないと、そういうレベルでなかろう。

 他愛のない話がしたかったという中村の叫びは、確かに悲痛だが、5年という年月を経てのことと考えると、何か違和感がある。いかにも、という感じでスッキリしない。

  これは再生の物語なのだろうか。このあいまいな結末で中村は再生され、木島は何か変わるのだろうか。どうにもよくわからない。

  他の登場人物も、ふつうの人間はいない。綾野剛、新井浩文、田口トモロヲ、安藤サクラ、谷村美月など、どこにでもいそうだが、明らかにふつうではない。どこかずれていたり、外れているのだが、そのずれ方や外れ方がスッキリこない。どれも本当らしくないのである(唯一、高橋努の工員だけはふつうで、今、隣に座っていても、スクリーンにいても不思議でない実在感がある)。

 

 この映画の世界は確かに独特だ。それは日常でも非日常でもない、台上か箱庭の中のようなもので。人によっては、ある種、魅力的なのかもしれないが、私には無縁の世界だ。

 長々と否定的なことを書くのもどうかと思うので、この辺にしたいが、最後にこの映画の題名だが、どんな意味があるのだろうか。特に侍がわからないのだが。

 

「その夜の侍」2012年公開   監督  赤堀雅秋

 

▶︎堺雅人と山田孝之

 それぞれが熱演だが、噛み合っているとは言い難いか。山田が自然に演じてるのに、堺は役が柄に合わないのか無理が目立つように見えるのだが。

 

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