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山本周五郎の短編を読んで、なるほどそうなのかと思ったこと

 文春文庫から沢木耕太郎編の山本周五郎の短編集シリーズが4冊出ている。山本周五郎というと新潮社というイメージがあるが、多分著作権が切れた関係なのか、各社から選集だの、文庫本などが刊行されはじめている。

 長編全集は何年か前に刊行されたものを持っているのだが、短編は昔の全集か、いくつか出ている選集、まだ版を重ねている文庫本にあたるしかない。

 沢木耕太郎の著作には、随分ご無沙汰しているので、どうして山本周五郎と結びつくのかよくわからないのだが、それでも、迷った挙句、つい四冊まとめて購入してしまった。

 

山本周五郎名品館I おたふく (文春文庫 や 69-1 山本周五郎名品館 1)

山本周五郎名品館I おたふく (文春文庫 や 69-1 山本周五郎名品館 1)

 

 

 

 書名は「山本周五郎名品館1 おたふく」。収録作品は以下の9編だ。

「あだこ」「晩秋」「おたふく」「その木戸を通って」「菊千代抄」「ちゃん」「松の花」「おさん」「雨あがる」

 読んでみると未読は「晩秋」だけだったが、「松の花」「おたふく」以外は、高校生か大学生以来の再読で、どれも新鮮な驚きをもって読んだ。「松の花」は「日本婦道記」の一編として、長編全集に収録されているので数年前に読んでいた。「おたふく」は「妹の縁談」「湯治」と一緒に「おたふく物語」としてまとめられており、愛読書の一つとして何度か読み返している。だが、こうやって、他の短編と一緒に読んでみると、そうだったのかと気づくことも多かった。

 

 編者沢木耕太郎の力の入った解説を読むと、こんな記述がある。

 

 もしこの「松の花」のやすを一丁目一番地のひととすれば、そこからの距離で、他の作品の女性の位置を計測できるようになる。

 たとえば、この『おたふく』の巻には、「松の花」のやす以外にも、「あだこ」のおいそ、「「晩秋」の津留、「おたふく」のおしず、「菊千代抄」の菊千代、「その木戸を通って」のふさ、「ちゃん」のお直、「おさん」のおさん、「「雨あがる」のおたよという八人の魅力的な女性たちが登場してくる。

 この八人の中で、やすから最も遠くにいるのは誰か。たぶんそれは「おさん」のおさんだ。可愛い女だが、性の極限の瞬間に自らの官能を制御できないために下降を繰り返していかなければならない運命に見舞われる。「おたふく」のおしずは本質的にはおさんに近い女性だろう。しかし、やすに似た制御心の持ち合わせもあるところから、やすとおさんの間に位置することになる。「あだこ」のおいそはさらに「松の花」のやすに近いところにいる女性だろうと思われる。   

                      「おたふく」

 

 

「松の花」のやすは、貞淑で質実。おっとりとした外側とは別に、夫に気づかれぬままに、武家の妻として、完璧に勤め上げたいわば当時の女性の鑑。「日本婦道記」の巻頭を飾るにふさわしい女性だ。

 編者は、このやすが山本周五郎の一丁目一番地であり、おさんが最も対極にある女性だと論じる。

 「おさん」。主人公のおさんは性の営みの時、陶酔の絶頂を迎えると、われ知らず他の男の名前を声に出し、男から愛されるがゆえに、男を疑念と嫉妬に狂わせる。自分の意思とは別に、自らの性に翻弄され、転落せざるをえない女性を描いた短編だ。私はこれを高校生の時に読んでいる。解説か何かで、傑作、とあったが当時はさっぱりわからなかった(当たり前か)。何十年か経って、この歳になった今読み返してみてはじめて、確かに、おさん、のような女性がいるということに深く頷くことができる。

 「おたふく」のおしずも本質的にはおさんに近い女性だろう、という編者の指摘もなるほどと思う。おしずは、今風にいえば、超天然といっていい愛すべきキャラクターで、作品自体も底抜けに明るいのだが、確かに「おさん」につながる部分はある。たとえば、こんな記述だ。

 

 

⎯⎯そうやって改ためて見ると、おしずの若いのに眼をみはる思いだった。少し脂肪が附きすぎたかもしれない。眼尻や額に小皺がよっているけれども、透けるようになめらかな、白い艶つやした膚も、青みを沈めたきれいな眼もかたちよく両端のきれ上がった唇も、まるで二十二三の娘のようにしかみえない。背丈は五尺そこそこで小さいほうだが、すらっと高くみえるのはからだの恰好がいいからであろう。

 おそのは、たびたび一緒に風呂にはいったので知っているが、両の乳房は掌へはいるくらい小さく、それがいかにもかたちよく張っていたし、腰から太腿の豊かな緊った肉付きなど、女の眼にも嬌めかしいくらいなのに、ぜんたいの調和がとれているので、立ち居の姿は心憎いほどすっきりしてみえた。

 そのじぶんはただ子供を産まないし芸事などをしていて、気が若いからだという風に眺めたけれど、今おそのはつくづく見なおして、これはこういう恵まれた産まれつきに違いないと思うのであった。

 

 

 おそのは錺職人の親方の女房で、長年おしずと付き合いがあるが、自分のところの職人の貞二郎との縁談を思いついて、おしずを呼び出して話を進めようとする場面である。同じ女性であるおそのの視点からだから、さらっとした書きぶりだが、ここで描かれているおしずの匂うような容色は、確かにおさんのもつエロティシズムにつながるものを感じる。

 男を近づけないように、顔に煤を塗っている「あだこ」のおいそや、男として育てられ、自らのアイデンティティに悩む「菊千代抄」の菊千代にも、どこか倒錯的な色合いを読みとる人もいるかもしれない。

 

 改めて思うのは、山本周五郎は女性の身体と心について、なぜこれほどの深い洞察力を持ちえたかということだ。そして、これほど多様なそれぞれが魅力的な女性を描き続けることができた秘密は何かということだ。 

 

 編者は、解説で山本周五郎という作家にとって、母と二人の妻(はじめの妻は病死)の存在がいかに大きかったかを述べているが、彼の多くの小説の謎はもちろんそれだけでは判然とするものではないだろう。

 

 私が初めて読んだ山本周五郎の小説は「五辯の椿」だったと思う。高校生の頃「樅の木は残った」が大河ドラマになって、「樅の木は残った」は随分長かったので、「五辯の椿」を読むことになったのかと思う。正確には覚えてないが、この復讐劇は、今思えば、「おさん」と重なる部分が物語の土台の一つになっているように思える。

 残り三冊と一緒に、これも読み直してみようと思う。

 

後記

 山本周五郎の作品は映像化されたり舞台化されたりしているものが多い。

「あだこ」は吉永小百合主演のテレビドラマを大昔に見た記憶がある。「おたふく物語」は池内淳子のおしずを覚えている(これも大昔)。

「雨あがる」は寺尾聡主演の映画を見たが、これはあまり感心しなかった。

今回調べたら「冷飯とおさんとちゃん」という田坂具隆監督のオムニバス映画があるのがわかった(「ひやめし物語」「おさん」「ちゃん」)。DVDが出ているが、中古でも3400円。う~ん。

 

冷飯とおさんとちゃん [DVD]

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