日付のない便り

日々のとりとめのない覚書 映画や読書 そして回想

小野寺史宜「ひと」(祥伝社)を読む  スラスラ読めるのだが……

  初めての作家。つい手にとったのは、本の帯につられて。

 「本の雑誌が選ぶ2018年度エンターテイメントベスト10  第2位」

 「心洗われる、本物の感動で重版続々!!」

 「おお、どうしてこんなところで涙があふれてくるのだろう」

 

ひと

ひと

 

 

 

 最近、映画でも本でも「必ず泣ける」「涙が止まらない」「心揺さぶる」というような惹句がくっついているものが多い。そんなに秀作、傑作が量産されているのかと心配になってくるほどだ。老年になって、涙腺が緩んでいて、簡単に涙も鼻水もヨダレも出るようになっているので、格別「泣ける」ことを求める必要もないのだが、表紙の装幀にも惹かれて購入した。

 それなりに楽しく読んだが、せっかく準備したハンカチもティッシュも使うことがなかった。

 

 両親を相次いで亡くし、一人で生きていかなくてはならなくなった青年聖輔の1年間にわたる成長物語。

 実にスラスラ読める。逆にいうと、引っかかるところがまったくない。

 この小説は、ほぼ登場人物の会話と聖輔の説明的な述懐で進んでいく。出てくる場所や小道具的なモノは、やけに詳しく具体的に書かれていて、情報雑誌を読んでいるようだが、情景描写はほとんどない。だから、町屋やあらかわ遊園のようによく知っている場所はイメージがわくが、知らない場所は困ってしまう。

 聖輔が一人で生きていくことの困難さは物質的、経済的な面ではよく伝わってくる。だが、両親をなくし、天涯孤独になった二十歳の普通の青年の精神的な面での困難さは、伝わってこない。読んでいて、天涯孤独になったら、あなたはどう生きればよいか、というハウツーもののような気がしてくる(そんなハウツーが必要かどうかも疑問だが)。

 自分が買おうとしたコロッケをお婆さんに譲ったことから起こる、人との出会いの奇跡、ということがこの小説のねらいなのだろう。ストーリーは随分、都合のよい部分もあるが、まあ、それはよしとして、読んでいて登場人物の顔が目に浮かばないのは困った。私の読解力不足、想像力の衰退のせいもあるだろうが、特に聖輔の同級生の青葉の顔が浮かんでこないのには困った。どうも、あまり魅力的に思えないのだ。お前の好みに問題があるのだろう、と言われればそうかもしれないが、これは読んでいて残念なことだった。

 それでも、最後まで、まあ、楽しく読めたのは、展開がテレビドラマのようで、しかも、気持ち良い結末が予想されたからかもしれない。砂町銀座、町屋、日本橋、銀座、と小説に出てくる場所がはっきりしているから、テレビドラマにはよいかもしれない。ただし、誰をどの俳優にしたらよいかは、やっぱり思い浮かばない。

 「実にスラスラ読める。逆にいうと、引っかかるところがまったくない」と先に書いたが、文章自体にも、優れた文学作品を読むと必ず引っかかる部分(衝突する部分、気になって仕方がない部分、あるいは気に障ってつっかえる部分)がないのだ。読み終わった後に、ザラザラしたものが残らない。

 

 舌触りがよいから、スラスラ読めるのか。

 

 老人の繰り言のような感想で申し訳ないが、読み終わって思うのは、同じ作者のもっと密度の濃い作品が読んでみたいということである。

 

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