日付のない便り

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西村寿行「滅びの笛」を読む  ネズミのパニックの話だが、別の話に思えてきて……

 この作者の作品は、一時期続けざまに読んだ記憶があるから、この作品も読んでいるはずだが、うっすらとしか覚えていなかったので新鮮に読めた。中部山岳地帯で大量発生した鼠群と人間との闘いを描いたパニック小説。刊行が1976年。この頃、「タワーリング・インフェルノ」とか「ジョーズ」ようなパニック映画が続々公開されていたが、パニック小説というのは意外に少ない。

 随分前の作品なのだが、この小説の臨場感はなかなかのものだ。

 

滅びの笛 (徳間文庫)

滅びの笛 (徳間文庫)

 

 

 

 120年に一回咲くクマザサの一斉開花を機にドブネズミが異常繁殖し、やがてネズミの群は狂気に取り憑かれたように人畜を襲い、地を埋めるように進軍する。役所も政府も、主人公らの再三の警告にも関わらず、絶えず躊躇し、逡巡し、後手に回り大惨事を防ぎきれない。「シン・ゴジラ」を彷彿させるような、やるせない会議や議論が続く。  

 方法がなかった。打つてがない。だれも一斉開花を信じようとしない。科学的な根拠がないからだ。人は証明できることしか信じようとしない。ことに役所はなおさらだ。ことが起きてからでないと動かない。失敗をおそれるからだ。役所に想像力は不要であり、想像力に予算はつかない。

 だが、たぶん⎯⎯と沖田は思う。林野庁は、今までよりは少し多いていどの殺鼠剤の散布で鼠群の発生を押さえ込もうとするにちがいない。一時的な効果はあろう。そうしているうちに冬が来る。鼠群の動きは積雪に抑えられて潰滅にみえる。が、実際は胎動の期間だ。あちこちで前咲きした笹の実を喰い。それがなくなれば雑草の根や樹皮を齧りながら春を待つ。春から夏にかけて全山が笹の開花で黄金色に埋まり、それが落ちるころになると、狂瀾が始まる。

 (中略)

極限状態にまで膨れた鼠群がまるで地表を滑るように移動して麓に向かうさまを想像すると、沖田は戦慄をおぼえた。戦慄をおぼえながらも、そうなってほしいという気がする。役所に想像力が必要なことを悟らせるには、大惨事の到来が必要であった。

  組織の停滞や欺瞞、保身もさることながら、惨事を拡大させるのは、何よりも想像力の欠如ということになる。

  読んでいて、地を覆い尽くすネズミの群が、あの震災の津波やこの間の洪水と重なってきて困った。作者は、無計画な山林の伐採、鳥獣の無制限な狩猟など、人間社会の自然破壊がパニックを呼び起こしていることを警告しているが、果たしてこの国の責任あるものに自らを守りうる想像力があるかどうか、心配になってしまう。

 私の住んでいる町は、0メートル地帯で荒川や江戸川が氾濫すれば、家の屋根まで水が押し寄せるらしい。

 かつて、200年に一度の洪水を想定したスーパー堤防なんて本当に必要なのか、とうそぶいた政治家がいたが、不見識だったと頭を下げたという話は未だ聞かないのだが。

  続編がこちら。

滅びの宴(うたげ) (光文社文庫)

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蒼茫の大地、滅ぶ (上) (角川文庫)

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