日付のない便り

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庄内柿をいただいて……いつから、柿がこんなに好きになったのだろうか

 山形の叔母から父へ柿が送られてきた。父は94歳だから、年は離れているといっても、叔母も85、6歳にはなるのだろう。父が生き残っている兄弟では一番年上だから、3人いる叔母たちは随分気にかけてくれて、それぞれが携帯電話でしょっちゅう連絡してくる。父も携帯をいつも手元に置いている。

 親戚づきあいは、それなりに大変だから、若いときは煩わしかったが、こうやって自分も年取ってみると、家族以外に年老いた父を気にかけてくれる人がいることは、本当にありがたいことだ。

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 特にここ数年、叔母や父の実家の従兄弟が、季節のものを頻繁に送ってくれるようになった。体の弱っている父がもう、山形に帰りたくても帰れないことがわかっているので、少しでも郷里のものを食べさせたい、という計らいなのだろう。

 山菜、さくらんぼ、桃、漬物、新米、と送られれくれば、もうたくさんは食べれないけれど、やはり父には格別の喜びなのだろう。

 昨日は、庄内柿が送られてきた。すぐに皮を剥いて食べた。小粒だが品のよい甘さだ。家内が剥いただけでは物足りなくて、もう一個リクエストした。

 食べていて、ふと不思議に思った。

 俺は、いつから、こんなに柿が好きになったのだろう。

 子供の頃も、若い頃も柿は嫌いではなかったけれど、あまり積極的には食べなかった。学生の頃だったか、「柿食えば」の正岡子規は、実際に柿が大好きで、いちどきに7個も8個も食べたというのを読んで、そりゃ度をこしているなと思ったが、今は何んとなく分かる気がする。

 6年前に亡くなった母は、柿に目がなかった。よく、どこそこの柿はどうだとか、柔らかい柿はどうだとか、あれこれと論評を加えながら、うまそうに食べていた。最晩年は認知症で施設に入っていたが、季節になると、家内が剥いた柿をタッパーに詰めて、母の元に持っていって食べさせたりした。最後は、私の顔も名もわからなくなっていたが、柿は食べていたのではないか。記憶は定かではないがそんな気がする。

 とすれば、私が柿を愛するようになったのは遺伝なのか。年をとると、好物まで親に似てくるものなのか。

 家内が、仏壇に供えた柿を眺めながら、久しぶりに母のことを思い出した。

 

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