日付のない便り

日々のとりとめのない覚書 映画や読書 そして回想

「世紀の小説『レ・ミゼラブル』の誕生」(デイヴィッド・ベロス著 立石光子訳)を読む   小説の「伝記」? 読み応え十分の力作!  

 本書は『レ・ミゼラブル』という「小説」の「評伝」である。一編の小説の評伝というのはあまり聞いたことがないが確かにそうなのだ。部分的には、作品自体の文学評論でもあるし、ヴィクトル・ユゴーの評伝でもあるのだが、全体を通してみれば内容はあくまでも「小説」の「評伝」、いや「伝記」の方が正確かもしれない。

 

世紀の小説『レ・ミゼラブル』の誕生

世紀の小説『レ・ミゼラブル』の誕生

 

 

 

 白水社のホームページには、この本の内容説明として

 「南北戦争の兵士も共産圏の人々も愛読した『レミゼ』。その執筆・出版の波瀾の過程を縦糸に、作品の背景となる世界経済やユゴーの用いた技巧から、ミュージカルや映画までを横糸に織り上げられた、大傑作小説の「伝記」。」

 

  とあって、読み終わってみるとなるほど、「評伝」より「伝記」という言葉がふさわしく思えてくる。

 構成も凝っていて、『レ・ミゼラブル』と同じ、五部構成になっているのだが、それぞれの部には、同時代の作家の作品名が使われている。さらに、各部の間に、幕間として、筆者の豊富な知識を駆使して、作品の背景となる世界経済や言語や歴史等について語られる。

 目次の概要は下記の通り。

はしがき――『レ・ミゼラブル』を読んで 

序章 『レ・ミゼラブル』の旅 

・第一部 罪と罰 

 幕間 目に見えない歴史 

・第二部 宝島 

 幕間 名前のつけ方 

・第三部 眺めのいい部屋 

 幕間 ジャン・ヴァルジャンの内面 

・第四部 戦争と平和、そして進歩 

 幕間 美文体と俗文体、ラテン語と隠語 

・第五部 大いなる遺産 

・フランス十九世紀年表

 「レ・ミゼラブル」は、愛読書で何回か読み直している。といっても、全体を通して読むのはそう簡単ではないから、部分的にだが、それでも何回かは通読している。特に研究しているわけではないから、好みの場面をぼーっとして読んできただけだが、この本を読むと細部にまで計算され尽くしたユゴーの緻密な計算や、執筆の意図、それぞれの登場人物の持つ象徴的な意味などが、その当時の政治情勢や思想、経済的な背景、そしてユゴー自身の様々な事情等の懇切な解説によって、紐の結び目が解けるようにかってくる。

 『レ・ミゼラブル』は、物語の発端が1815年、ジャン・ヴァルジャンが息をひきとるのが1835年。著者によると、歴史小説の一面があり、当時の状況が小説の細部にまで影響しているという。

 例えば、ジャン・ヴァルしジャンのマドレーヌ氏が、すぐに巨万の富を築けたのはなぜか、それがどうして違和感がなかったのか、という謎や、マドレーヌ氏はなぜ紙幣で財産を隠したのか、隠していたお金が目減りすることがなかったのか、というような疑問が提示される。著者は当時の経済情勢や、貿易の事情などの研究成果や踏まえて、手際よく次々と謎解きをしていく。これには、目から鱗のような面白さがある

 特に、ジャン・ヴァルジャンが、コゼットと一緒に夜のパリの街を逃げ回るきっかけとなったのが、隠れ家の老女に、フロックコートに隠した千フラン札を目撃されたことだったことを考えると、なぜそんなに高額の紙幣を持ち歩いていたのか、ということが、ストーリーの転換点のきっかけなるわけだから、知っているか、知らないのかの差は思いのほかに大きい。これは、読んだ時には、全く考えたこともなかったので、思わず、へぇーと声をあげたくなった。

 

 後半の「レ・ミゼラブル」の出版の際の経緯では、この小説が、まさに「世紀の小説」であったことを頷かせるだけの事情が語られていく。

 ユゴーがラクロワと結んだ出版契約は、世紀の小説にふさわしい「世紀の契約」だった。現在の価値として、約4億5千万に相当するものだった、という。当時、文筆だけで生活できる作家が数えるほどであった時代に、破格の契約となった。

 それでも、ラクロワは、著作権の問題が、ようやく各国間で整備され始めていたので、翻訳権の販売からもかなりの収入が得られると見込んで、契約を結んだ。それでも、契約時に、小説はまだ完成していない。いわば、大きな賭けにも近いが、この後のユゴーとラクロワはこの賭けに成功する。

 

 一八六二年の春、アデルは目の治療を受けにパリに出向いたが、『レ・ミゼラブル』第一部上下巻の 発売に向け、広報責任者の役割も担っていた。もちろん、一から世間の関心をかき立てる必要はなかっ た。国外在住でもっとも高名な作家による新作小説は、長年にわたって待ち望まれていたからだ。むしろその期待をさらにあおり、当局が発禁または押収に踏み切らないよう牽制するのがアデルの仕事だっ た。とはいえ、内容はどんな断片であれ、まえもって外部に洩らすわけにはいかない。本の中身を隠したまま評判を高めるという難題は、広報責任者の仕事を芸術の域にまで高めた。

  (中略)

 アデルがまず考えたのは、大型の広告掲示板を使った宣伝である。一年後に出す予定の挿絵版のために依頼していた登場人物の挿絵二五葉を、ポスターに印刷して、パリじゅうの広告板に貼り出した。これは法律違反ではなく、しかも間近に迫った刊行を、本文のどの部分も明かすことな世界中に知らしめることができる。本の宣伝活動としては前例のないものだが、そもそも、「レ・ミゼラブル』のような本が前代未聞だったのである。

 アデルは二つ目の工夫として、決められた日までは一語たりとも掲載しないという条件つきで、新聞用の宣伝文をつくった。アデルは、シャルル・ユゴーとポール・ムーリス、ことによるとアデル自身が筆を執った告知の原稿を持って新聞社を訪ね、夫人から連絡が行くまでは掲載を控えてほしいという異例の申し入れを行なった。今日ではよくある戦略とはいえ、『レ・ミゼラブル』は、内容を伏せたまま で発売された最初の作品とみてよいだろう。ユゴーの威信の前では、新聞社も夫人からの前例のない要請に従わざるを得なかった。『レ・ミゼラブル』第一部発売のお知らせのうち、合図のベルが鳴るまえ に掲載されたものはひとつもなかった。つまり、すべてが一八六二年四月二日に一斉に現われたのである。

 

 これって、現在に通じる広告方法の先取りといえる。街の一角や、電車の車両を広告で埋め尽くすやり方は今もよく見られる。

 そして、『レ・ミゼラブル』はヨーロッパ中で熱狂的に迎えられる。本書では、その様子が、克明に描かれていく。

 4月4日に販売を開始したが、翌日の午後には、パリ初版6000部が完売。

 翌月の第二部、第三部の販売はさらに沸騰した。

 

 

マスコミの悪評は、読者にはなんの影響を及ぼさなかった。『コゼット』と『マリユス』計四巻が五月に発売されるころには、熱狂は頂点に達していた。人気が高まったのは、『ファンチーヌ』発売前に劣らぬ、熱心な宣伝活動による。ジャン・ヴァルジャン、ミリエル司教、ジャヴェール、コゼットの 画が、書店という書店のガラス窓を飾り、続編の出版を知らせる大きなポスターが町中の壁に貼られた。本文からの抜粋「ワーテルローの章を必ず使うこと」とユゴーは念を押したが複数の日刊紙に掲載され、パニェール書店ではほかの本をすべて倉庫にしまって『レ・ミゼラブル』を山積みした。パリ版の第二部および第三部の印刷部数は第一部の倍である。八折本四万八○○○部の山でバリ ケードがつくれそうだ、とアデルは思った。パニェールは本の重みで店の床が抜けはしないかと案じた。

 一八六二年五月十五日の未明、セーヌ通りに行列ができはじめた。パニェール夫人がガウン姿でバル コニーに現われ、午前六時三十分の開店までもうしばらくご辛抱をと訴えた。警察官が出動して行列の整理に当たっていたが、客たちの忍耐は限界に近かった。書店の扉がようやく開け放たれたとき、通りは二輪馬車、四輪馬車、手押し車、一輪車など、本を持ち帰るためのありとあらゆる車がひしめき合い、いまにも暴動が起こりそうだった。

 書籍販売の歴史をひもといても、こんなことは前代未聞だし、パリの住人たちもこんな光景にお目にかかったことがありません。同じ通りのほかの商店主たちは、呆気にとられて口をあんぐり開け、さっぱりわけがわからないので、これはいったい何ごとかと訊きまわっていました。

 こうして本は完売した。数日のうちに重版ができあがり、ほぼ毎日のように増刷された。少なからぬ 者がそのあおりを受けた。『レ・ミゼラブル』が市場を席捲したので、ほかの本はさっぱり売れず、フ ロベールは『サランボー』の発売を半年延期した。演芸場や風刺雑誌では、詩や散文による即席のパロディがぞくぞくと登場して、『レ・ミゼラブル』の人気ぶりをからかうと同時に裏づけた。まったく関係のない芝居でも、「ミゼラブル」という言葉が口にされるたびに、観客は総立ちで拍手した。

 

 

 確かに、この小説が、いかに世界中で愛されたことがよくわかる。 

 他にも、フランス語に関する薀蓄やユゴーの宗教観や政治思想など、記述は多岐にわたっていて、『レ・ミゼラブル』の伝記として、きわめて厚みのある内容になっている。

 著者のユゴーは、生涯を通して愛人の絶えることがなかった生来の色好みで、その手のトラブルも随分あったらしい。だが、ジャン・バルジャンは独身だったし、『レ・ミゼラブル』に出てくる人物の多くは独身で、この時代の小説にありがちな不倫などは全く出てこない。ユゴーが愛され続けたのは、『レ・ミゼラブル』という小説の清廉さも理由の一つになるかもしれない。

 ユゴーは83歳で亡くなるが、葬列には200万人の人々が見送ったという。

 著者のデイヴィッド・ベロスは、イギリスの大学教授だが、文章は平易で読みやすく、構成にも気配りや工夫があって、最近翻訳本を読むのがうっとしくなっている私でも、割と無理なく読めた。『レ・ミゼラブル』の愛読者には必読の本であろう。

 

後記

・『レ・ミゼラブル』の映画化作品や、ミュージカル化された作品などへの言及も多い。日本のアニメ『レ・ミゼラブル 少女コゼット』にまで触れられているのには驚いた。

・2012年公開のトム・フーバー監督、ヒュー・ジャックマン主演のミュージカル映画「レ・ミゼラブル』が、一番新しいので言及が多い。冒頭の徒刑囚が船を曳くシーンの意味が本書で初めてわかった。

・私自身は、この映画は見ていて、なんか違うな、という感じがしてならなかった。

ヒュー・ジャックマンのジャン・ヴァルジャンも、ラッセル・クロウのジャベールもアン・ハサウェイのファンチーヌもどうにもしっくりこなかった。

 フランスのテレビのミニシリーズ版の方が原作の良さが出ているように思える。ジャン・ギャバンがジェラール・ドパルデュー、ジャベールがジョン・マルコヴィッチ、ファンチーヌがシャルロット・ゲンズブール。配役もこちらの方が原作のイメージに近い。

 ジェラール・ドパルデューと比べると、ヒュー・ジャックマンは体に厚みを感じず、線が細く見えて、元徒刑囚という説得力を感じない。

 ジョン・マルコヴィッチは複雑な感情表現で、印象的なジャベールを演じている。シャルロット・ゲンズブールは、一途だがどこかバランスの悪さを感じさせる独特の雰囲気で、不幸な母ファンチーヌを熱演している。

・ジャン・ギャバンが主演の1957年版は、昔、テレビで見た記憶があるが、よく覚えていない。リノ・バンチュラ主演のテレビシリーズもあるということだがこれも見ていない。それにしても、ジャン・ギャバン、リノ・バンチュラ、ジェラール・ドパルデュー、とフランスには武骨な雰囲気と容姿を持ったスターが多い。

 

レ・ミゼラブルニューマスター版DVD ジャン・ギャバン主演

レ・ミゼラブルニューマスター版DVD ジャン・ギャバン主演